2024年10月の日記

10/31 ■意外に精神が回復してきて精力的に仕事やら小説を書いている。しかしお酒は自分の課題なので、マジで改善しないと。■アルコール・アノニマス(AA)という断酒グループに参加しようと探すも、那須周辺にはないとわかる。東京ならそれなりにあるけど…。■栃木のAAは基本的に教会が主催しているとわかる。日本の教会に通ったことはないので、それはそれで興味が出てくる。■日本はアルコール依存症が実は世界一だと思う。日本ではお酒がどこでも気軽に手に入り、変に良いイメージを刷り込まれている。自分みたいに飲み始めると一瓶あけちゃうのはまた別のレベルの問題だが、毎日ビールを一杯、ぐらいの人は多いと思う。それも多分依存症。■結局は利権の問題と思う。しかし日本は何かと国民が物事を自分の問題として声を上げず、しかも資本主義なので、利権が途方もなく強大な力を持ちやすい構造だ。ただここ5年ぐらいは風向きの変化を感じる。Youtube系の教育動画など、???と感じる表面的な内容も多いが、それはそれでいいのだと思う。若者が前提的に賢くなってきている(少なくとも問題意識に目覚めてきている)と感じる。

10/30 ■昨晩は余りに気持ちが沈んでいてお酒に手を出してしまい、一瓶が空き、今日はひどい状態だ。横になる。吐き気で浅い呼吸しかできない。空気の埃がいつもより多い気がする。死ぬ時はこんな感じで苦しいのだろうと、もう何度も味わっているこの感覚に改めて恐ろしくなる。■外はすごい風で森全体が揺さぶられている。樹になりたいという気分を止められなくなる。そうすれば僕の身体にはいつも何かが止まったり住んだりついばんだりしていて決して寂しくないだろう。風を受け止める度に遠くの誰かの花粉を感じ、元気にやってるのだなと郷愁に浸る。山が燃えたり、大きな機械が僕を切ったり掘り返そうとする時には、それはどうしようもないので、安らかに死ねるのではないか。自分の死骸が新しい何かを創るとはロマンチックだ。■自分の死が、どうしようもない力で決定づけられるとしたら、なんて素敵だろうと思う。人が死を憎むのは、そこに「もしも」を見いだせてしまうからだ。タバコをやめていれば…食事を気をつけていれば…あの交差点を渡らなければ…。そしてこの先に長寿化技術が進展していけば、たとえ100歳まで生きて自然死するとしても、「あと10年生きることが出来ればあの治療が…」と感じることを止められないだろう。■しかし死がどうしようもない力で圧倒的にもたらされるなら、そんな後悔は生じない。僕はきっと、地球と同じ大きさの隕石が地球に衝突するとわかると、ウキウキして踊りだすと思う。■やばい。寝る。寝たい。天井の木目を数えきってしまった。

10/29 ■小説を書き進めることが出来ている。ゲンロンSF講座では、まず作品のサマリー的な梗概(こうがい)というものを出すのだが、書いているうちに、自分が既に出した梗概からどんどん変わってきている。書いてみるまで、その人達がどんな人かわからないと知った。その人達に自分に嘘をつかせないよう進めると、当初考えた結末などとはどんどん離れていく。■何字でも書いていいなら、彼らも生きている人間である以上、物語を進めちゃんとした結末を与えることはできる。しかし字数制限がある。創作とはえげつない有機的作業と知る。■でも何とかなりそうだ。これは一重に、講座のライバルのみんなと、那須の温泉のおかげだ。

10/28 ■Made in Abyssというアニメを見進めているのだが、ボンドルドというキャラが凄い。自分は漫画やアニメも好きだけど、特定のキャラに入れ込むことは殆どない。しかしこのボンドルドは、ミギー並みのインパクトである。■調べてみると人気キャラらしくネットで色々かかれている。このキャラが人気とは意外だったが…どうも自分の観点は他の人と少し違うかもなので、ここに備忘録。■ボンドルド(以下「彼」)を見て思うのは、こいつは本当に人間の業に向き合っているということだ。彼の言動の印象は、現実の人間社会の畜産業のイメージがあるかどうかで大きく変わると思う。大規模工業化された畜産業では、全ての牛や豚に名前を付けることは難しい。育てる過程で動物らの全てに夢を見させる(一時的にでも幸せにする)ことも難しい。屠殺する際には多少の悲しみはあるだろうが、屠殺してしばらくたった後も、その動物を深く覚えていることなどもないだろう。なぜなら、そんなことにいちいち反応していたら、畜産業者の心が持たないからである。■ところがボンドルドは、実験に使った子供に対して、上の全てをちゃんとやっている。名前も、外見も、その子の夢も。サイコパスによる自分の利益のためのマインドコントロールと捉えることも可能だが、現実の人間社会では、力を持つものが、マインドコントロールの手間すらかけずに、ごり押しで搾取をしている。そう考えると、このボンドルドというやつは、強大な力を持ちながらも、彼なりの考えでだが、搾取対象へのケアを放棄していない。とにかくマメで、真面目で、自分の業に向き合えるほど心が強い。■例えばヒトラーとアウシュビッツを考える時、我々がアウシュビッツと聞いて思い浮かぶエピソードは、ガス室であろう。(もちろんそれが非道であることは大前提だが)、ある意味、人を大量に殺すことが特別に危険視されている訳でなく、「人をモノのように機械的に殺し埋葬する」こと、言い換えるなら人間性の逸脱、が問題視されている訳だ。■この点、ボンドルドは、まさしく人をモノ(カートリッジ)に変えて自分(人類)のために使う訳だが、当のボンドルドは、カートリッジとなっても、それをモノではなく人だとちゃんと認識しているのが、また絶妙である。ヒトラーがボンドルドぐらいに完璧なサイコパスだったら、アウシュビッツは今とは少し違う文脈で歴史に残ったかもしれない。

10/27 ■選挙で、ある候補者のビラ配りのお姉さんが、お尻が実際に見えるぐらいのミニスカートを履いていたとのこと。候補者いわく「ボランティアの人は私が直接に募集した訳ではなく、集合してみたら彼女たちがそういう恰好だった」「私達の年代の時には、ボディービルやボディコンが流行っていたので、特に露出が高いとは感じなかった」らしい。■もっとマシな言い訳すればいいのにと思う。特に露出が高いと感じなかったなら、その人は現代感覚とずれているので政治を任せてはいけない。スタッフが募集したボランティアが集合したら際どい恰好なら、その場でズボンを買って履かせればよいだけで、その程度の判断も出来ないなら政治家に向いてない。■僕ならこう言う。「不謹慎とは自覚しておりましたが、彼女たちの服装は私の指示です。このように、ルールの中なら目立てばよいと言うことに危機を感じており、それをやめさせるために、不本意ながら目立つ行為をしました。私の行動を見て、このような行いはNGだという認識が広まればよいと思います」。■と書いてみたものの、こんな長くて複雑な言葉で弁明してもダメだな。僕も選挙に向いてない。

10/26 ■那須高原の標高1300mぐらいの上の方にある、大丸温泉旅館の日帰り入浴に行ってきた。200年前?からある温泉らしく、かの乃木将軍が大変好きだったらしい場所のそうで、乃木将軍は「近頃は温泉といっても温泉らしからぬものが増えているが、これこそが温泉である」とか言っていたようだ。いつの時代も人は過去を美化する。■大丸温泉の露天風呂はかなりデカく、テニスコートぐらいある。地面と接しており、紅葉やら、いろいろな樹々が温泉の上を覆っている。しかもいくつも露天風呂があり、石の上を歩いて移動する。他の風呂に移動する通路に、段々に積んだ石の上を温泉が滝のように流れている箇所があったので、そこに寝そべって、真剣に寝た。背中だけあったかく、耳者には水が轟轟ながれている。■大丸温泉旅館は入口も古風で趣があり、小さな谷の上を小さな橋で渡った先にエントランスがある。この橋から下方の谷を見るのもまた良かったのが、手すりが腰ぐらいの高さだった。今だったら、絶対に旅館業の免許が下りなさそうだ。■世の中とは、言葉が悪いが、注意深くない人がバカなことをして、人に迷惑をかけたり死んだりすることで、それを防ぐためにどんどん規制が強くなっていく。昨今の選挙にしても、ルールの穴をついた戦略を取る人が多い。「ルール(法律)が禁止していないならOK」は詭弁だ。法律とは何から何からまで細かくルールを定めるのではなく、私達が常識や共通認識に従って行動するだろうという信頼を前提に整備されている。その穴を突いて目立つことをやるのは、まあそれも彼らの表現の自由と言えばそうなのだが、それによりどんどんルールが厳しくなり、社会制度の運営コストがあがり、ディストピア化していく。■この流れがこの15年ぐらい加速してる気がして、やっぱSNSだよね。SNSは民主主義のパンドラの箱だったと思う。とにかく目立てば勝ち!が、実際にそうなので、アメリカの大統領選挙でさえ、こんなことになっている。30年後には、世界全体が、戦間期ヨーロッパ(1920~1938年代)のような雰囲気になっている気が本気でしている。

10/25 ■リニアモーター線が地下深くを掘っている影響で、東京の西側で、自分の家の敷地内に水がにじみ出てきたというニュースを見た。公益の為にしょうがないとは言え考えさせられる。自分が人生をかけて買ったであろうマイホームの下で、自分の想像を超える何かが進行するのは、僕なら嫌だ。というか、それが自然現象ならいいのだけど、人間の営みというのが、何か嫌だ。■那須の事務所の庭でタバコを吸っていると、自分の敷地内で、自分が見えていない生命や現象がものすごいあるんだろうなとワクワクしたり、怖くなったりする。東京のマンションに住んでいれば、ある意味、壁の裏やら地面下の基礎がどうなってるかとか含めて、自分の敷地内で起きている現象はだいぶ詳しく理解できる。しかし森にいると、笹の中にハチの巣やら蛇がいるかもわからんし、植物は植物で激しく勢力争いしてるし、最近あれだけいたトンボが全然いなくなったなとか、カメムシはどこから家の中に入ってくるのだろうとか、とにかくカオスである。■人間、というかホモサピエンスとは、生物学的に弱い分、特異に攻撃的な生き物で、自分の唯一の武器、すなわち知能を使って、何かと全てを支配したがる。都市などはその最たるものだし、ゴルフ場も、ある意味、大人が巨大な力で、公園の砂場で作っていた城をグレードアップしたようなものだ。■都市にいると、驚くぐらい見事に自然が支配されているので、人間の脆弱性を感じにくくなるのではと感じる。自然に囲まれていると、嫌でも自分は自然の一部で、たまたま生かされているなと感じるので、何かと謙虚になるかもしれない。

10/24 ■這いつくばって、ベッドで寝転がりながらでも必死に考え続けた結果、小説が少し進んだ。身体のエネルギー総量がスズメの涙だが、がんばってるぜ自分。■Xで誰かが「小説を書く人は増えているが読む人は減っている」と言っていた。含意としては、自分を理解してもらいたいと行動に出る人が増えているが、他人を理解しようと時間を使う人が減っているということかと思う。■これは、youtubeなり、自分というものを誰もが手軽に発信できるようになっている一方、そのコミュニケーションが一方向なことと関係が深い気がする。これが社会への警鐘となりえるのか判断が難しい。■人生とは究極的に自己満足なので、プロだったり、人がお金を払ってまで読むレベルの小説に達する必要は必ずしもない。スポーツを見れば、10代から80代まで、プロは目指してないがライフワークとして取り組んでいる人は沢山いる。他方、事を難しくするのは、小説とは読まれることで初めて意味が生じる面がある点である。スポーツは相手がいるのでこの点の心配がない。正直、読むのが苦痛という小説はある。■スポーツでも、例えばプロ選手と初心者がテニスをすれば、プロ選手は殆ど楽しめない。でも初心者と初心者が一緒に練習すればある程度楽しい。では小説で、初心者と初心者が読みあったら楽しいか?となると、必ずしもそうでない。なぜなら初心者も、初心者の小説を読むより、プロの小説を読む方が楽しいからだ。■こう考えると、小説は、というか、芸術とは、本質的に残酷である。ピアノやダンスの発表会にも同じようなことが生じる。でも、だからこそ、芸術で認められるということは、とても純粋に自分の能力が人に憧れられているという指標であり、だからこそ人生をかけてまで挑戦する人も多いのだと思う。

10/23 ■体感時間が300年ぐらいのボリュームの悪夢を見る。自分は、自分が卑怯者として、人物も時も場所もシチュエーションも違う状況で、ある一つの何かから逃げ続ける夢か、または、自分が何代にも転生しつつ何かを駆逐し続ける悪夢を定期的に見る。自分が、自分とは別の存在になって、またその次の世代の別の何かになって、ということを主観で感じ続ける果てしなく長い夢。半分目が覚めており、心臓はゆっくりなのか早いのか、汗ばんでいるのか寒いのか熱いのか、ただただ終わってくれと願い耐える。■体を自動運転っぽく、黙々と雑務をこなす。こういう時こそ何かを積極的にこなして、達成感で自我を保つのだ。しかし本当に頭が働かず、たぶん自分がもっと年を取って痴呆症になっていくとこうなんだろうなと、自分の傷を自分でまじまじ観察するような怖さを味わう。昼食を食べ終わって椅子の上でそのまま、たぶん15分ぐらい、目は開いているものの何にも焦点が合わずフリーズしていたようだ。外だったら完全にヤバい人だ。外にいるならそれはそれ用の人格みたいなもので動くのでトラブルにはならないが、そうやって無理に馬力を出すと反動がすごい。家で死んでいるのが一番傷つかないという生産的な負傷である。■お風呂にはじめてお湯をはってみた。古くて豪華な風呂場なので、床も袖も石張り、バスタブは深くて真四角のタイル張りである(プールの消毒コーナーと同じ)。タイル張りなので保温性はすこぶる悪い。お湯をはって寝転がると、タイルに触れる背中が冷たく稀有な経験だった。ほぼ真っ暗にしてお湯から鼻だけ出して寝そべって浸かり、銀河が終わるんじゃないかってぐらいぼーっとする。水を通して自分のお腹の音がよく聞こえる。自分はこの体のことを本当に何もわかっていないし、自分からはどうにもこうにも出来ないと改めてわかると、何だか、自我とは錯覚だという実感を止められず、無明。

10/22 ■鬱なりにしっかり仕事をして、小説も進んでいる。小説は3週間ぐらい停滞したが、構成をしっかり練ったからか、筆の進みが早くなった。自分が何かを学んでいる実感があり、嬉しい。

10/21 ■テニスをする。不思議なことに、最近テニスがうまくなっている実感がある。高校の時は、テニスのために高校を選び、朝練のために毎朝5時50分の電車に乗り、1限が終わる前にお弁当を食べ終え、夕方までひたすら寝た後は、ナイターで練習し(うちの高校は国策の実験校でナイターもあった!)、夜の9時半まで走り込みをしていた。大学リーグでも1年プレーしたが、高校の時ほどの練習量を確保できず、これ以上強くなれるチャンスはないと、辞めてしまった。ところが2年ほど前、約20年ぶりに接待でテニスをしたら、とても楽しかったので再開した。とは言っても、その接待テニスでアキレス腱を全断裂したので、まずは手術とリハビリだったが。。。■いまテニスが上手くなってる理由は、うまく脱力できるようになったことと、身体の使い方の理解が高校より上がっているからだと思う。大学ではモダンダンスをして、また30代前半にはボクシングをしていた。人間の身体で大きな運動エネルギーを生み出すには、身体の閉じを上手く意識する必要がある。例えばとても重い金属ドアを片手で押し開けるとしたら、多くの人が、身体をねじる様に閉じて片方の手に体重を乗せるはずだ。ただしこれがスポーツになると、なかなかうまく出来ない。ダンスでピルエットをするなら、腕の横振りに対して身体はぎりぎりまで正面を保つ方がよいとか、ボクシングで強いパンチを打つなら、殴る手の反対側で壁を作るのが重要とか、そんな感じである。■ところで自分は中学までは空手を真剣にやっていたのだが、上に書いた身体の使い方は空手とは異なる。空手では、身体の閉じ開きというより、身体を正面に向けたまま、身体の中心の重さを拳や足に乗せる練習をする(いわゆる正拳突き)。そのために木に縄を巻いて、それを殴ったりする。また見るに、相撲も同じように、身体の中心の重さを乗せる競技であるように見える。卵が先か鶏が先かわからないが、ただ歩くにしても、日本人は欧米人と比べて重心が低く、日本の武道も、この低い重心を活かすことを重視している(対してバレエなりボクシングなり、というかスポーツ全般は、高い重心での体重移動や閉じ開きが重要な気がする)。■自分は頭で考えて運動をする人間で、思い入れがあるので乱文長文になってしまった。他にもいろいろあるがまた今度。

10/20 ■鬱である。youtubeを4時間ぐらい見てしまった。温泉に行く。少しマシになる。硫黄温泉は効果が高い。昼間からずっと温泉にいればよかった。夜は月がやたら輝いていた。

10/19 ■お昼に中国料理を食べる。水餃子。ニンニクの芽と牛すじ炒め。鳥南蛮と食用唐辛子。じゃがいもの千切り。日本のお店は良く見ると、中華料理と中国料理に分かれている。僕の好みはスパイス満載の中国料理。■Good Doctorというドラマを見てから、早めに寝て翌朝2時半に起き、東京→那須に車移動。深夜の高速道路を、音楽でぼろぼろ泣きながら走る、走る、走る。車が半自動運転となったので、身体の操作を手放して心置きなく泣ける。水分補給も忙しい。■ここ数週間は脳のセロトニン分泌が弱くて鬱気味なので、心と身体は切り離して、身体は半自動運転モードにして仕事や人付き合いの諸々を処理している。がんばって社会に溶け込んでいる、つもり。■夜3時の栃木の高速道路で今宵は暴風。窓ガラスが震える音量のU2のWhere The Streets Have No Nameで頭が真っ白の中、目の前に木枯らしが吹き荒れ、枯れ葉の渦をフロントガラスで突き破る。前が見えない恐怖と高揚にアクセルを踏むのが、限りある命の輝き方なのではと感じた。

10/18 ■夜にゲンロンSFの講座と講評。今回の自分の作品は箸にも棒にも掛からなかった。講評を聞くに、単純に物語のオチがうまく伝わってないので、自分の表現の選択ミスである。読者がどういう期待や先入観で読むのかの思いやりが足りてない。SF的要素があるないとか、ネタが面白いか、矛盾が生じてないか、以前の問題であり、同じミスをしないようにと勉強になった。■夜の懇親会で、某女流作家さまと少人数で話す機会に恵まれ、格言を授かる。曰く「高級腕時計は傷つけるためにある」。高い時計は日頃から身に着けて、ガンガンぶつけていけ。なぜなら、そんなことが出来るのはその時計が自分のものだからだ。傷が入った高級時計を身に着けられるのも、それが自分のものだからだ。■実は僕も、自分の性格と似てると感じて買ったそれなりの時計をもっていて、可愛いから机に飾っていたのだが、考えが変わった。■ちなみにその作家さまはお話ししてみると、思わず「兄貴!」と付いていきたくなるオーラに満ちている。その方の作品を読んだことなかったし、ただ本屋に並んでても手に取ることもなかったと思うが、興味が湧いたのでポチる。読者にこびる必要はないと思うけど、芯がある作家は、街を歩いて人と話すだけでコアなファンが増えていくのだろうと思う。

10/17 ■那須→埼玉に車移動。小説の結末が見えてきて、そこへの逆算を考察してたらあっという間に着いた。こういう時に、車をメルセデスにして良かったと感じる。高速で、心地よい直進性、静音性、半自動運転で、スピードを出しながらも安心して考え事を出来る。■半自動運転って、体験するまではいらないものだと思ってた。でも体験すると違う。もちろん最終的な責任は自分だから、車に任せてても自分も常にチェックしてる。でも、自分が注意を払うべき所がとても少なくなり、何なら、周りに車が全くない時なら、両手両足をストレッチしてても安全に車が進んでいく。■以前、ポルシェで北海道を周遊して500kmぐらい?走ったこともあったが、ポルシェはそれはそれで凄い魅力的で(アクセルと車のレスポンスの正確性とか、エンジンが後ろにあることから来る加速の突き上げ感とか、ハンドルの重さから来るライン取りの正確性とか、ギアチェンジの時の音とか、etc…)…、でも比較すると、やっぱメルセデスってバランスいいなと思う。変な表現だけど、日常の最上級。メルセデスって、成金のイメージもあり、実際そういう人もいるけど、実際には、とても堅実でコスパが良いブランドだと思う。

10/16 ■無心で会社の事務作業をこなす。弊社の従業員は僕一人で、わたくし恩田が、全ての業務すなわち、対外やり取り、総務から社労関係、会計から法人税申告、法務から訴訟、各種登記、金融資産運用、更には現物資産のリサーチやら物件修繕やら設計、何なら高圧洗浄機での排水管洗浄から床のポリッシャー掛け、モルタルを練っての左官など、全て一人でやっている。新しいことを学ぶのが好きで追求し続けたらこうなった(そのために、いろんなとこに弟子入りはさせて頂いてきたけど)。不動産業だけは免許がないと出来ないので、それだけは自分で資格を取り免許を持っている。でも小説に集中したいし、やめようかな。■夜にテニスをする。人と交わるスポーツは、自然と声を出したり、チームワークの会話が生まれるのがよい。若い頃は勝つことしか頭になかったけど、それ以外のスポーツの良さが身にしみてくるこの頃。

10/15 ■小説の結末が見つからず筆を進められずひたすら悩む。昨日は90分温泉に浸かって少し見えてきた。今日も90分温泉に浸かったが、あまり考察が進まなかった。ベッドに入り考える。眠りが浅い。16日の明け方5時ごろに目が覚める。切り口が湧き、リサーチする。解決の糸口が見える。本当に行き詰っても、5時間ぐらい全力で考えれば何とかなるのかもしれない。自信がついた。■成果が出るのかわからない、出口にたどり着けるかわからないことを、5時間ぐらい考え続けるのは、大人になってから初めてな気がする。小説を書くのは本当にしんどいことを実感するが、そうやって人が作ったものを僕は敬愛しているので、自分もいろいろ生み出して、誰かに敬愛される存在になりたい。

10/14 ■昨日は明け方までゲームしてしまい生活リズムが著しく乱れる。没入感的な理由で、深夜にしかゲームや映画鑑賞を出来ない。MMORPGをやったことないのだけど、いつか参戦して、徹夜で顔も知らぬ人達とダンジョンに挑むのが密かな夢である。■自律神経を戻すために、那須湯本の殺生石の前にある温泉に行く。この温泉は、シャンプーやドライヤーのスペースがなく、温度別の6つのマスの湯船だけがある、ガチ温泉である。僕は神経質で、スーパー銭湯などでは少しでも静かな空間を探して子供や学生集団から逃げ回ってるのだが、この温泉ぐらい小さくて人とギュウギュウ詰めだと、逆に気にならない。ファミレスとかでも集中できるのと同じなのかな。■帰りにホームセンターで、いま作ってるもの用にいくつかコンクリブロックを買う。セメントはアルカリ性なので、酸性の雨に触れるとどんどん強度が下がる。なのでホムセンの野ざらしのコンクリブロックの強度は当てにしないほうがよい。■セメントをアルカリ性に保つために、マンションも建設中は養生したり、外壁にタイルや塗装をするわけだが、中国とかで建設が止まってるマンションやらは、完全に酸性雨に雨ざらしである。せめて何とかして養生すればいいのに。巷では最先端技術でも中国が一番とされ、そんな気もするが、平均的な技術レベルではまだまだな気がするし、その点、日本は世界でドイツの次にマジメで安心できる国だなーとか思う。

10/13 ■ゲンロン講座の新しい課題が出て、すごくそれに取り組みたいので、まず第一課題の実作を仕上げるぞと拍車がかかり、朝から小説に取り組む。■中盤まで書いてるが、うまく着地する気がしないので、改めて主人公がどんな人なのか知りたく、生い立ちの1人称モノローグとかを書き出している。そうしてるうちに何か見えてきている気もする。結末が未定に戻ったが、主人火が人間である以上悩みや葛藤はあるはずなので、何とかなる気がしてきた。ちゃんと小説を書くのは人生はじめてで、回り道しまくってる気がするが、何かを学んでいる実感があり嬉しい。■おセンチな気分になりたくて、Made in Abyssのシーズン2のサントラをヘッドホンで全集中して聞く。午前の和室に日光がさやさや差し込んでる状況だが、シラフにも関わらず、ボロボロ泣いてしまう。鼻をかみまくる。水分補給に励んだ。

10/12 ■朝に散歩する。事務所の周りにはいろいろなキノコが生えているが、今日は真っ白なキノコを発見。これはもしや、ドクツルタケ…。■キノコについての新発見は、こいつらは大和魂の如く、すごいスピードで伸びて、さっと死ぬ。「え!昨日は小指のサイズだったよね!」もあれば、「あれ、昨日はデカかったのに、もうしわしわ」という感じ。もしかしてスーパーマリオのキノコも、こういう生態から着想を得たのかも。■テニスをする。年を取ると運動習慣が大事になるが、自分はランニングや筋トレは続かない。自分との競争に弱いタイプである。昨年、テニスを高校ぶりに再開して、それが続いている。この前は、60歳でテニスを始めたという人に会った。ゴルフやテニスの便利さがわかってきた年頃。

10/11 ■早朝に小説に取り組んで、その後に仕事して、昼過ぎから5万円ぐらいで買ったアルミパイプのカーポートの組立を完了する。土地が道路に対して縦にも横にも高さにも3次元に斜めなのでどこに対して平行を取るか大変だった。カーポートは、先ずは届いたパイプを叩き合わせて整形したり、地面に10ヵ所掘って10本のパイプを刺し、それで平行を取ったりと、かなり大変だった。途中でお隣さんと、お隣さんの犬が手伝ってくれた。■併せて、積もり積もった落ち葉をブロワーを使い、敷地内の植物が支配してるエリアに集める。事務所を買った時、砂利の上に数年分の落ち葉が堆積してて大変だった。土がないと落ち葉って全然朽ちないんだな。ドラム缶で野焼きできれば簡単なのだけど、国立公園の中なので禁止。■落ち葉は湿っているとうまく吹き飛ばせないので、ここ数日晴れた今がチャンスだ。落ち葉の塊に風を当てると、さざ波みたいにうねうね動く。吹き飛んだ後には、どんぐりやら何かの実が残る。どんぐり料理を始めるか悩むこの頃。■夜は今日発売の『メタファー』というゲームをする。怖いぐらい静かで暗い森の夜に、4Kプロジェクタで120インチスクリーンに投影して、B&Wで組んだスピーカーでゲームをする。至福の時間。。。

10/10 ■東京→埼玉→那須に車移動。道中でPodcastを聞く。バイリンガルニュースというラジオで、もう7年ぐらい?毎週聴いてる。ネコ星人というグッズもあり、可愛い。■巷では余りにも生成AI画像が出回り過ぎて、ソニーやライカが「このカメラで写真を取ると、その画像は実際にカメラで撮られた」ことを証明できるカメラを出してるらしい。それは何の技術革新でもないのだが、技術適応として確かにニーズはあるな、と思う。■この先、生成AIありとなしで、別カテゴリーでクリエイティブな画像・動画が競われて行くのだなと思う。生成AIありは、とんでもなく多量のコンテンツが生まれていくだろう。けれど、昨今のダイバーシティとも重なるが、人類の嗜好が限りなく多様に満たされていくのは、けっこう怖い面もあると思う。■みんな違ってみんな良い、が加速していくと、ある意味で異なる価値観とのコミュニケーションの必要がなくなる。全ての人にジャストサイズで心地よい娯楽や空間が提供されているのなら、人は変化を必要と感じなくなる。ちょっとマトリックス。■変化球の例だけど、例えば音楽がCDアルバムで販売されてた時は、CMで放送されてるシングルカットの曲は知ってるけど、アルバムの残りの11曲は買うまでわからない、の状況だった。で、アルバムを買って、残りの曲を聴くと、やっぱシングルカットの曲が一番いいなぁ、が多いのだけど、何曲か、不思議とすごい自分好みの曲が見つかったりする。そうやって、ある意味ブラインドで音楽を購入して聴くことで意外な世界が自分に開かれたりもしたのだが、、、今のspotify、もしくはなくなっちゃった?けどlast fm のサービスあたりから、自分が好きな曲の亜種を無限に聴けるようになってしまい、ある意味、聴く音楽の幅が減ったかもしれない。■まあ、自分が歳をとっただけで、きっと今の若い人には、僕の知らない地平線が見えてるのだろう。

10/9 ■裁判の期日だった。カメラや報道陣が凄くて荷物検査に時間がかかる。誰の事件だろう。ちなみに昨日は角川の元会長の初公判?があったみたいで、きっとすごかったのだろう。■民事と刑事の違いはあれど、日本の司法は根本的に権力側に優しい。例えば民事訴訟で、自分が被害者として損害賠償を提訴をする場合、相手の不法行為を、被害者の原告が客観的証拠で立証しなければならない。■大きなことで言えば、例えば福島原発の件で自分が被害者として提訴する場合、被害者が東電に瑕疵があったと立証しなければならないが、被害者は当然に東電の内部資料をもってないので、東電に瑕疵があった客観的証拠を出すことなどほぼ不可能である。■日本は明治時代に西洋の国家システムを取り入れたが、根本的な思想は中国文明の影響下だと思う。つまり、官なり、企業なり、権力側が強い。そういうシステムだと、何をしようと権力側にさえ立っていれば有利になるので、権力を得たり、しがみついたりするために、なりふりかまわないという風潮が高まる、気がしている。

10/8 ■那須の事務所から東京に移動するために、最寄りのバス停まで50分ほど歩く。那須の小道には、会員制のプライベートコテージが色々あることがわかった。ネットに乗らない情報は沢山ある。■那須は寒いのだけど、不覚にも防寒着を東京から持ってくるのを忘れたので、那須に置いてある作業用ツナギと長靴で移動する。キチンと洗ってるから清潔なのだが、見た目は「さっきまで配管に潜ってました」の人である。新幹線の自由席で僕の隣には人が座らず、申し訳ないような、得したような。

10/7 ■埼玉から那須にバイクで移動。バイクで高速は乗りたくないので下道を使う。下道の方が景色も楽しい。■最初に買ったバイクはオフロード車、わかりやすく言うと仮面ライダーが乗ってる系のだ。これは車高が高く立ち乗りしやすいので、山の上とか海の上の大きな橋で立ち乗りして80kmとかで走ると、それこそまさに自分が鳥になったように感じた(バスの天井ぐらいの目線で立っている自分に、ものすごい風が吹き付けつつ、身体は前にかっ飛んでいる)。■訳あってバイクが変わり、今は250kgあるアメリカンバイクに乗っている。横長でデカいやつ、わかりやすく言うとハーレー系。でかいアメリカンバイクを日本で上手く乗るために試行錯誤した結果、より顕著に感じ始めたのは、バイクは車とは全く別で、乗り物というより、自分の直感の通りに動く、身体の延長パーツ、ある意味、身体拡張だと思う。■重くて低いバイクはやることが多い。例えばきついカーブが現れたら、左手と左足を素早くガシャガシャしてシフトダウンしてエンジンブレーキで減速しつつ、曲がりながら、右足でリアブレーキを軽く踏みつつ、右手でアクセルを吹かしながら左手で数ミリの半クラッチにしてエンジン振動を抑える(バイクを低速で制御するには、アクセルをあけつつ右足でブレーキを踏む)。■僕が白バイみたいな運転が好きだからこういうことしてるのかもだが、この通り、両手両足が全部同時に種類の違う微細な動作をやっている反面、実際の運転中は、意識の7割は路面の状況(轍やゴミがないかとか)を見ていて、3割で周辺環境を判断している。スピードや何速のギアに入っているかはエンジン音と体感で判断する(そうしろと教習所で教わった)。メーターとか見ると危ない。■そういう理由で、バイクに乗ると、機械と自分の無意識が繋がる不思議な感覚になる。例えば未来に、コックピットに座って目を閉じると自分の意識と飛行機が接続され、脳内に流れ込むカメラ映像でイメージ操縦とかなったら、たぶんこんな感覚。

10/6 ■荒川区のマンションから埼玉の実家にバイク移動。途中で足立2りんかんのピットでバイクをタイヤ交換。2りんかんの喫煙所で入れ墨が入りまくった人達と談笑。50とか60の叔父様達から「俺の彼女がよぉ〜」と聞くとほっこり。■足立区から4号線で埼玉の実家に向かうがてらの信号待ちで、暴走の方々と交流。バイク乗りは手を振れば応え合うという謎の絆がある。あっちが何かのコールをしてるので、僕はミッキーマウスをする。ミッキーマウスのコールは、ただリズムを刻めば何となく伝わるので万能だ。ブンブブーン、ブンブブーン、ブンブブンブブーン。ブンブブーン、ブンブブーン、ブンブブンブブーン。

10/5 ■千駄木を散歩する。最近ジョークTシャツにはまっていて、千駄木の某Tシャツ屋で大人買いする。雨のおかげで今日は人が少なく、いつもは売り切れのメンチカツを買うことが出来た。肉屋が店先で販売してるメンチカツで、A5牛肉の切れ端をミンチにして使ってるらしい。牛肉のおいしさは脂肪の臭みで決まると思うのだが、このメンチカツは脂っこいけどA5だからかなのか良い香りが押し寄せてきて絶品だ。■夜に「Made in Abyss」ってアニメを一気見する。Spotifyでおすすめの楽曲としてサントラが流れてきたので知った。Kevin Penkinという、Ambient好きには刺さる作曲家だった。アニメもよかった。ただこの作品、構造的に、たぶん完結しないか、シャーマンキングみたいな謎エンドになる気がする。

10/4 ■午前に国税局と会議。僕の零細企業が今春に増資して国税局担当になった。この人たち、税務署と同じく、やり取りは面談か電話かFAXのみと言ってくるけど、国税局員は実はメールアドレスを持ってる(前職の関係で知っている)。嘘つき(笑)!■FAXはFAXで便利なところあるから好きだけど、もう少し柔軟になってほしい。エストニアでさえ、納税から裁判までネットで出来るよ。日本の判子とFAX文化は何の利権なのか。。。■午後はバイクをメンテする。自動車だと自分の理解を超えてしまうが、バイクぐらいなら、全体の仕組みをギリギリ把握できて楽しい。空冷か水冷か、エンジンの性能曲線から見るにどういう走りや用途を想定してるか、諸々。■自動車でもITでも、自分が全体像を理解できないレベルに達したものは、便利だけど、何か楽しくないかも。それは恐らく、技術が個人の理解を遥かに超えてしまうと、個人は技術を、ただ消費者として消費するなり、多少の応用をするしかできなくなってしまうからかも。

10/3 ■激美人の古い友人と早稲田リーガロイヤルホテルでアフタヌーンティー。テレワーク普及で会社員の友人達も午後休を取りやすくなってきた。■友人に縄文時代を語ってしまった。狩猟時代には人間は皆ある意味「完全人」であった訳で、自分で採り、火を操り(料理)、(家を)建て、アート(土器)をしていた。僕はこの4つを人間性のアーキタイプと呼んでいる。で、この人間性は、農耕社会による階級の誕生や、科学信仰(効率性の信仰)による人間の専門化で、薄れすぎていると感じている。現代人は完全性からどんどん遠ざかり、いずれはそれこそパソコンみたいに、意思を持たない機械的な存在に変容してしまうのではないか(それを退化と呼ぶか進化と呼ぶかはさておき)■こんな考えから、僕の建築学部での卒業制作(留年しまくってるが)では、建築における「円」の研究を考えている。建築は効率の観点から基本的に四角で構成される。この四角というのは、もはや思想であり、効率性の権化である。空間の導線から家具家電まで基本は四角だ。■四角は、限られた空間を有効に最適化するが、同時に、物事はこうあるべき、という観念を私達の無意識に刷り込んでいる。一例でいうと、四角い部屋に四角いベッドを置くと、ベッドは壁際に付け、壁側が頭になり、ベッドとの昇降は脇から行い、そして部屋の導線はこうだなと、ほぼ自動的に定まっていく。他方、丸い部屋の真ん中に丸いベッドを置くとどうなるか。この場合、どこが頭になるとか、どこから昇降するのかは完全に自由である。■要は、四角に象徴される効率性という神が、無意識に私達の精神を締め付けてるんじゃないかと僕は感じている。人間の精神は、弥生土器みたいにノッペリして綺麗に並ぶよりも、縄文土器のように、直線ではなく円弧で構成される無方向であるべきと思う。ちなみに最初の建築家と言われるイタリアのパッラーディオは、部屋の望ましい形に順番を付けており、一番は正円とした。■とかまあ、資本主義を極めて、専業投資家として暮らしてる僕が言うのも何だけど。。。

10/2 ■久しぶりに、荒川区の家→上野のシェアオフィスに自転車通勤。寛永寺を抜けて、黒田記念館の前から上野公園に入り、松坂屋の方に抜ける。30度前後でも自転車なら心地よい。■上野公園では東京芸大生達が通学している。奇抜な格好の人も多いが、共通してるのは、歩きスマホが少ない。みんな何か考えてるのだろうな。■昼はじゃらんのポイントでホテルラウンジで仕事。じゃらんに登録してるとたまに期間限定1000円クーポン届くけど、実はこれは「じゃらんの体験」ってところから1500円ぐらいのホテルランチプランに使える。世の中お得情報がいっぱい。■今日は17時にはお風呂に入って、19時には布団に入るぜ。明日の明け方から小説再開する!

10/1 ■裁判関係の資料作成で一日が過ぎる。相手の弁護士の反論が明後日の方向なのだが、僕の文章が明確でないのか、相手がわかってて論点ずらしてるのか、相手がやる気ないから適当なのか。今週と来週は東京で諸々の事務作業。■ただ思うに、僕は自分で訴訟する人だから(昔は法律事務所にも勤めてた)大丈夫だけど、一般の人だと、自分が依頼する弁護士が本当に自分のためにベストを尽くしてくれてるかわからないよね。医者と弁護士の友人はいた方が良いと思います。■昼ごはんを食べようと外に出たら、当たり前だが、どこもかしこも混んでいて辟易した。音が多すぎて頭が疲れる。■これを書いている今は、10/2の朝の4時半だ。アドレナリン全開で仕事に没頭し生きるなら気にならないけど、東京に住みながら平和な思考を巡らすなら、夜の9時に起きて朝の9時に寝る生活が適切なのかもしれない。