RとF
- いや、すげぇ。終始ニヤニヤしながら読みました。
- はじまった瞬間、「…これは惑星の感覚だ!」と読者が自ら感じる書き出しで、すばらしいと思いました(実際には違うのだけれど。でもこれはこれでよいのだと思います)。そして、しばらくたってから、「ようやく自分自身が、巨大な何かの平面に…」と自分の存在を知覚するのも、語り自体がミステリーの構造となっていてうまいなと思いました。
- Fの方がある意味で大人、というか、目的に向けてさっぱりとしつつも、視野が広く哲学的な印象。RとFは自己複製だけど、生物も人間も、世代を得てより洗練され合目的で淡泊で、それでいて妙に形而上的な思考をする存在になっていくような、そんな超越的な感覚(摂理?)を、Fの旅立ちやFへの想起の独白から感じました。最近の若い人達と話す時にそう感じることがあるのを想起しました。
- 「すぐそばにあるものでも観測できる術がなければ、なかなかその本質に気づけないものなのだ。本当に。」ううう、泣かされちゃったよ、よくわからない存在に(笑)。
読んで次の日もこの言葉が自分に残っていて、遠距離恋愛だとか、盲目の人だとか、色々空想が膨らみました。
- 創造者と被造物の距離感について考えさせられました。自分は神に該当する存在をよく考えるのですが、神の視点に立って人間に感情移入しようとしたことはなかったです。本作を通して、自分が神の視点となったときに、被造物の人間にロマンを感じるのか、考えてみたくなる気にさせられました。
- 総じて、すばらしい読書体験でした。引き込まれて、自分に定めた時間をオーバーしてどっぷり読んじゃった。正直、全てを完全に自分の頭の中で再現できてないです(特にクライマックスあたり。ビッククランチ?でしたっけ)。ただ来年とか、講座が終わった後に、そういう理論を勉強しつつ、改めてじっくりと読み直したいと感じさせるに足る信頼感が、文章の節々から醸成されました。イーガンのディアスポラみたいな読後感です。語られる全てをこちらが理解できなくても、そこに確かにある何か普遍的なことが伝わりました。
- 僕は第一課題で、マルケスの「コレラの時代の愛」を意識しながら、約85年の物語をそこそこ綿密に描けたかなーと自己評価してるのですが、本作のスケールには完敗です。本作はかなりレベルの高い作品と感じ、もうそのままSFマガジンに乗せていいんじゃないかと感じます。
- ある意味、1.6万字がちょうどよいと感じました。これぐらいのスケールの話は、僕は「天冥の標」のミスチフぐらいしか読んだことないのだけど、1.6万字でも表現できるんだな、すげぇ、と思いました。他にもおすすめの作品があれば教えて下さい。道端さんが3.6万字だとどんな物語を書くのか、今から既に楽しみです!
地球内生命
- リーダビリティが高い文章です。すらすらと読めて何が起きてるかわかる。7期の瀬古さんを思わせます。恐らく実務能力が高い方は、みなこういう文章を書けるのだろうと感じます。
- 人の名前にルビがほしい。
- さらっと書いてる「人間の脳波からその思考を再現するアルゴリズムを発表した」が、けっこう納得感ある程よい距離感で、よい設定だと思う。
- 早川早苗は微妙な名前だと思う。
- 「たしかに。売れるかも。」が、和花の心の声だと一応わかるけど、作品の語り口が三人称一元視点なのか三人称多元視点なのか釈然としない感があり、違和感がある。
- 「和花は机をトントンとたたいた。荒唐無稽。無駄。研究者人生を棒に振る。いいじゃない。思考も人生も無駄だとしたら。」は唐突に感じた、というか文脈がわからない。
- 「和花のアルゴリズムは人間の脳波には反応しないように調整されて公開された」は、展開が強引で厳しい気がしました。というのも、その前にわざわざ「危険だ」と前置きされているものを、それを公開すべき理由も特になく、リバースエンジニアのリスクに投げ込むので。。。
- 「推定知能5・・・地球の大きさなら可能?」は納得感がありぐっと来ました。思考というものを、電磁波等が織りなすパターンの複雑性や規模で考えた場合、確かに地球なら人間を超えたレベルの知能が計測されそうです。
- 「湯川シンイチ、噂に聞いていた自己中心的な性格には見えないな、と早苗は感じた。ところで・・・と早苗は聞きたかったことを切り出す。」「和花が求めてきた純粋な思考そのものじゃないか、と早苗は気づいた」などの語り口も、唐突に早苗の心の声が出てきて、視点の問題で違和感を覚えました。
- うーん、ごめんなさい、物語に引き込まれる力がだんだんと弱まり、途中で集中力が切れてしまいました。
本作の梗概の講評で小浜さんは△を付けました。小浜さんは繰り返し「梗概は梗概で完成した作品とみる」と言ってます。小浜さんが〇をつけた作品の傾向を見るに、恐らく、梗概から1.6万字の物語の全容が読み取れるか、を重視されてるのだと思います。池田さんの梗概は、SF的アイデアの魅力が最大限に伝わるもので、それはそれで素晴らしい梗概でしたが、含まれている物語が少ないのは僕も気になっていました。なので僕は、「実作はどうなるんだろう。映画のコンタクトみたいに、別生物との交流と主人公のパーソナルなドラマが結びつく方向かな。それとも惑星内生命を通してSF的考察が深堀りされたり(e.g. 思考とは何なのか)、またそれSFギミック自体がドラマになる(e.g. CLは地球の歴史を全て覚えているとか)、で行くのかな」などと勝手に想像を膨らませておりました。 - ところが読んでみると、出だしのイルカとのシーンや、その時点の彼女の描き方は展開を期待させるものでしたが、その後は、中途半端な人間ドラマに落ち着いたな、というのが率直な感想でした。梗概がそのまま膨らんできた印象です。SFアイデアが無理やりに登場人物の互いの会話で展開された結果、作品の一番面白い部分がうまく伝わらず邪魔されてる印象です。またシンイチとの学生エピソードなどが書かれても、それはシンイチと木星を見上げるシーンまでの関係性を担保するためだけの情報として使われているなど、人間に関わる情報が単発的に感じます。冒頭で提示された、「思考とは何のためにあるのか」の問いや、「推定知能5…地球の大きさなら可能かも」なども、すごく興味深い切り口で、せっかくそれにアプローチできるギミックを思いついたのに、深堀りされてない印象です。
- またカタルシスがないというか、物語のクライマックスがわかりずらい気がしました。もしかしたら、SF的な考察を淡々と積み上げて、「会話が成立するのではないか」(でノイズがザザザ)、みたいなところで終わる様に構成しても良いのかなと感じました。
- 人と比べるのはどうかとも思いますが、道端さんも同じく、SFアイデアを核に沿える物語ながらも、ある種のドラマと感動が実現されています。それはおそらく、思い切って登場人物をほぼ一人にして、R.のSF思考に読者を感情移入させることに成功しているからです。 池田さんの作品も、主人公一人に焦点をあて、彼女の思考と発見までのドラマだけに焦点を絞れば、また違ったのかなとも思います。
SNS自体に内在する意識と愛に関する研究
- 日本語がうまい。リズムが良い。「、」をそぎ落としながらもリズムが保たれているのが、開始の1パートでわかる。この時点で作品への信頼感が高まった。
- 『「結合…愛だわ」ユキコがまたくだらないことを~』、を、出来れば梗概を読まずに実作を読みたかった!自分は昨年のゲンロンでも実作感想を書いたりしたが、意図的に梗概を読まずに実作を読んだ。今年は講評に出るが自分の講評以外は耳栓をするかもしれない。
- これは正解がわからない指摘なのですが、「これからはニューロンBLの時代を感じる」→「金属に血液は流れてないんじゃ」のセリフが自分には完全に?でした。自分はBL(Boys Loveですよね?)の知識が殆どないので、わかる人には当意即妙の返しなのかもしれません。ただ序盤にこの会話を見たところで、僕という読者はけっこう大きな壁を感じてしまいました。
- カレーのくだりとか、破滅的なカレーとか、複雑な相姦図とか、一文一文はさまれるうんちくのクオリティが高くて、読み進めさせる力を感じる。
- いちおう全部拝読して、タイトルの意味は何となくわかりました。コアの概念であるSNSに意識はあるか?については、「考えている」とは何かという重要な定義が所与として考察が進められているよう感じ、そこが自分にはピンときませんでした。
- すみません、つらい読書体験でした。すごく難しいことを書いておられます。それをこちらは必死に理解しようとします。ただしそこにユキコが変なつっこみを入れてくる(しかも恐らくそれに含まれるBL的概念が、僕にはわからない)。ユキコのセリフがノイズにしか感じられず、コアとなる「SNSに意識はあるか」の概念を理解しながら読み進めるのを一層と難しくし、辛かったです。
端的には、詰め込み過ぎな印象です。またBLに親しみがあり形而上的な話が好きな人となると、相当読者を絞り込んでいる気がします。
大喜利やおかしい比喩で楽しませたいという試みと、非常に複雑な概念を説明する試みが、互いを攻撃しあって読解を困難にしている印象を受けました。例えるなら、ソラリスを読んだとして、ソラリスの難解な創作的概念に何とかついていこうと集中します。内容を理解しようとするだけで頭を120%使います。しかし本作の場合、ソラリスぐらい難しいことが説明されてるにも関わらず、その説明の合間合間にBL概念や大喜利が挟まれるので、それを理解しなければいけない負荷も足され、さらに概念の説明が対話形式になることで、概念の説明自体も理解しにくくなり、頭がパンクしました(例えば、仮に高度な技術書が論文形式でなく対話形式で書かれていたら、内容を理解するのは一層に難しくなると思います)。
それに加えて、人格障害の概念なども出てきて、更にそれに対する両親のドラマも繰り広げられてきます。読書体験として、僕は、読み進める程に新たに理解する概念が減り、ただ物語に加速度的に引き込まれていくのが理想と思うのですが、本作は次から次へと新たに理解すべきアイデアが出てくるので、読み進めるほど苦痛が増しました。
構成として、ドラマと考察がキレイに分かれていれば、もっと理解しやすかったかもです(思い返すと「ニルヤの島」はその形式だった気がします。もしくは本作もその形式なのかもですが、この字数でハイテンポに行き来するのはワークしない気がします)。もしくはすべてを取っ払って、単純にSNSに意識はあるか、の異常論文で読みたかったです。ごめんなさい。
またあう日まで
- 心理描写と日本語がうまい。最序盤の順也に触れる前の逡巡の描写あたりで、この作品は読む価値が担保されてそうだと感じた。
- 順也の目覚めの描写もよい。場面転換のやり方は斬新(よいか悪いかわからないが)。
- 目覚めた順也に対して、そこで偽名を名乗るのか。。。グッとくる展開。
- 赤が「ロボットでも泣いたりするんだな」と自分をロボットと認識して独白するのは、その前後で、「今はいつ?メイはどこだ?」のレベルで戸惑ってる心理描写とちぐはぐかも。
- 「俺はあまり力が入らなかったが、相手からは、少しの緊張と牽制のような力強さで手を握られた。」は良い描写だ。参考になる。
- たぶん普通の人は「オーソドックスの構え」の意味がわからないかと。
- スパーの描写は臨場感がある。アクションを書ける人は少ないらしいので、きっとそれは武器なのだと思います。
- クライマックスの下のシーンが僕には想像できなかったです。
「正樹の左手のガードがわずかに下がった瞬間、迷わずに右手でフックを放った。正樹は僅かに後方に体を下げてその流れのままに回転し、右脚の踵で俺のこめかみを狙ってきた。とっさに右手を戻して頭をガードしようとした瞬間、したたかに右脇腹から少し内側の、肝臓部分に鋭い蹴りを撃ち込まれた。」
えーと、右フックを外されて、相手は自分から見て時計回りに旋回して、回転かかと蹴りで自分の右こめかみを狙ってきたから、自分が右手でガードしようとした?じゃあ自分の肝臓部分への蹴りはどこから来るんでしょう(こめかみを狙ったかかと蹴りが軌道を変えて肝臓を下からけりこむような動きも物理的に無理ですし)。
- 本質的に、ヒューマノイドの主観視点への違和感をぬぐえませんでした。「私」が「順也をどこまでわかっているのか」という問題が存在します。順也の脳を移植したならこの問題は生じません。ただ「生前の記憶を忠実に再現するべくプログラムを組んだ」というのは、他人が外から見たその人の印象で、その人の内面や思考回路を作り上げたということです。この点が大きなひっかかりに思え、自分にとってはリアリティラインが壊れており、物語に入り込めなかったです。
ヒューマノイドの主観なら、例えば久永実木彦「一万年の午後」ぐらい未来で、更に登場人物が全員ロボットなら、リアルに読めます。また7期のゲンロンSF最終課題の池田隆さんの「アンドロイドの居る少年時代」で、人間視点からヒューマノイドの発言を聞くことで、ヒューマノイドに心があるよう読者に感じさせたり、またけっこう前になるけど、長谷敏司さんのBeatlessも同じように人間視点からロボットの感情っぽいものを描写し浮き上がらせることが出来ています。
純也の主観視点のリアルさが担保されてない状態だと、彼女が「順也を蘇生させたのは私の勝手だ。どうしてわざわざ、改めて辛い思いをさせているのだろう。」と独白しても、何かずれているように感じてしまいました。
宝船と堕天の巫女
- 文章に情緒と身体感覚があると思います。異世界の風景を描く力があると思います。船に入ってからの風景も綺麗で独自性があると思いました。
- 甲板に着地した瞬間の琴が聞こえる描写はぐっときました。
- 「脳波で人を判別しているんだ。ただ、脳波に外見ほどの差異は出ない」は、僕の感覚では?でした。脳波は人によって差異があるのでは。。。そしてこれが何かの伏線だとしても、老人が登場した瞬間に論理的に違和感を覚えさせる発言をするなら、その時点でその後の老人の発言のリアリティが傷ついてしまう気がしました。
- 「分かりました。……今までありがとう。トシさん」とあるのですが、シェリーが老人と出会ってからどれぐらいの時間なのか、僕にはわかりにくかったです。数日一緒に航海したぐらい?(展開を見落としてたらすみません)。
- 世界観が透明で心地よく、その世界の細部も文章の節々から伝わり、それは良いことだと感じます。ただ率直な印象としては、全てをセリフで説明してしまった、です。
ゲームに例えると、「はじまりの祠を出るとそこには広い大地が広がっていた。目の前の大きな樹へ歩くと老人がいたので彼に話しかける。すると老人のセリフとカットシーンが30分つづき、そして空からラスボスが降りてきて戦って、破滅エンド」という体験を読者に与えている気がします。
- 世界や歴史をセリフで説明するのではなく、シェリーが探検して発見し、その過程を読者が共に体験できると面白いのかなと思いました。それが物語な気がします。僕の感覚ですが。
秋の公園の罠
- リーダビリティの高い文章です。頭が疲れなくすらすらと読めます。しっかりと気合と時間をかけて文章が作られている印象で、こちらもちゃんと読まなきゃ、と襟を正しました。
- 「スグルは回想から現実世界に戻る。信じられない現実世界だ。」で、突然視点がブレたように感じました。3人称1元視点と神視点を混ぜるなら、 ・ とかで区切るとわかりやすいよう思えました。
- 公園そのものがみゆきちゃんなのか。これは意外な展開で、確かにちょっとゾッとしました。
- アピール文などから(また過去作のアピール文などからも)、やりたい方向性は明確になってきたと仰られているのは存じ上げてます。それを承知で申し上げるのですが。。。作品から、「これをやりたい!」みたいな熱い思いが伝わってこない気がします。
今期だと、たとえば梶谷さんは「世界に鋭い視点を提供したいんだろうな」、天恵さんは「透明感や残酷な運命にあるキャラを描きたいんだろうな」、道端さんや池田さんは「科学的な意味で世界に対して感動していてそれを描きたいんだな」、形霧さんは「美しいものを描きたいんだな」というのが、アピール文を読まずに梗概や作品を読むだけで伝わってきます。でも夢想さんの場合、(僕にとっては)梗概や作品を読むだけでは、怖い体験をさせたいんだな、とは伝わってきません。
夢想さんにとっての理想の作品(具体的な作品)や、心が打ち震える感動というのはどんなものなのでしょうか。
- なお、僕が怖いものを書きたいなら、もう一行目から怖くて不気味に書きます。例えば冒頭の最初の一文から;
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい…。
公園で目を覚ましたスグルに少女の泣き声が告げる。スグルは見渡すが誰もいない。声は空から降り注いでいる。
「私、みゆき。公園になっちゃったの。閉じ込めちゃってごめんなさい。」
とか書いて始めます。そして回想や背景説明では人を怖がらせられないので、さっと終えるか、ほんの少しずつ明らかになるとかして、とりあえずスグルをどんどん歩かせ、不思議な怖いシーンに出くわさせます。なんか周りに人が増えてきたけどみんな心の声が顔に出ちゃってるとか、植物が人間の不満を言ってるとか、蝶の大群に包まれるけど信じられないぐらい赤い蝶で視界が真っ赤になるとか。で、最後に肖像画が落ちてたから拾い上げたら、それは微妙に違う自分の顔で、一瞬目を逸らしてまた絵を見たらその口が開いていて吸い込まれる。。。と思ったら現実に戻る。で、家に帰ると、妻の顔が少し変わってる。ビビりながら洗面所に行って鏡を見ると自分も肖像画のように微妙に顔が変わってる、とか。
山怪に相対す
- おもしろかった!ブラボー!!!
- 文学的に文章がうまい。開始6行で、僕、の性格がなんとなく伝わる
- 最初の内は、ちょっと微妙に感じてたんです。先生は女性なのにこの口調なのは何かの伏線かとリズムが落ちたり。あと、対話と独白つっこみはセンスを感じて面白いけど、ちょっとくどいなぁ、とか。ただ、(意図的なのかわかりませんが)、前半のそういうダルさが、山に登ってからの展開の速さや不気味さ、緊張感と良いギャップになって、中盤以降の読書体験に厚みを与えている気がします。
- 途中から引き込まれ、読むスピードがどんどん上がって、最後まで読み切りました。会話のテンポとか、会話で物語を運んでいく手法から見るに、ミステリーがお好きなのかな?物語自体も、ホラーがあり、山場があり、一つの謎がとけて、ミステリーだな、と感じました。
- ただただ面白かったので、他にあまり感想がないのですが。。。次も楽しみにしてます!
量子猫系彼女のトリセツ
- すごくよかったです!!!
- 個人的に、こういう文体に憧れがあります。透明感とユーモアがあって、少し切ない感じ。透明感や切ない感じを出そうとすると、作者が自分の世界に酔ってしまい妙な重さや押しつけが生じたりして、微妙な読書体験になることもある気がするのですが、本作ではそういう印象を全く抱かずにただただ気持ちよく読めました。
- 「ぼくは二匹にいつも餌をあげすぎていた。」おい(笑)!
- 喜美ちゃんの鬼メッセージ、ワラタ。
- 唐突に「トイレの前で待っているつもりだったのだけど、周りの女子の視線が凄かったのですぐにやめました。」で「ました」になったのワラタ。
- 喫茶CHROME CAT(笑)!!!
- 梗概から感じた、「シュレディンガー要素とは何なのか、わかるようでわからない、でもこのノリで物語が進むならそれぐらいでいい」ぐらいの世界観が、ちゃんと1.6万字に乗ったと感じました。わかるようでわからない人の心との距離が、登場人物の年齢の中二病感ぐらいの感覚で、シュレディンガーをモチーフに、ふわっと切なく描かれていると感じました(これが大人だったら、登場人物たちがバカに思えてしまい成立しないのが、また上手いです)。細かいことは知らん。ただ雰囲気がいい。それだけで先に先にと読み進めることができ、とてもよい読書体験でした。
- 一点。むずかしい問題ですが、表現の自由的なものは一旦おいて、たぶん猫に例の毒ガス実験(それが実際にはプログラムだとしても、読者はそれをまだ知りません)する描写を始めた時点で、多くの人が作品を読むのをやめる、または不快になると思います。プログラムだとしてもたぶんNGかと。。。読者の信頼を得た中盤以降に差し込んだ方がよかったかも。
あなたが聴いた色
- ごめんなさい、読むのを途中で断念しました。
- リズムがしんどいです。改行が非常に多く、文章がどこからどこまでまとまっているのかとてもわかりづらいです。また「、」を多用しすぎている気がします。
- 一行の詩的な表現で改行。また次の一行の詩的な表現で改行、となってると思います。セリフもそんな感じです。この改行の使い方は、例えば、なろう系のweb小説で、内容が薄くて頭が疲れない文章を一行書いて「」のセリフ…の繰り返しとかなら、ストーリーがサクサクすすんで行く心地よい読書体験になると思います。
または小説のここぞというクライマックスでこのような文体が出てくることもあると思います。森博嗣とかよく使ってます。昨年のゲンロン新人賞の中野さんの那由多の面も使ってました(やりすぎとの講評もあり、自分もそう思いましたが…)。 - 形霧さんの作品は、出だしからそんな感じで、一行一行が詩的だったり、セリフの一つ一つが何かの含意を含むような抽象的なものです。僕の読書体験としては、まるで、油絵を目の前に出されて「これは何に見える?」と聞かれ、それをうーんと考えて咀嚼したら、次の瞬間に別の油絵が出てきて「これは何に見える?」という作業を、永遠と繰り返している感じで、物語が頭に入ってきませんでした。
- 改行の使い方で文章をまとめなおすだけでも、今とは全く違う印象になるのかもしれません。美しいものを描きたい、という気持ちが伝わるのですが、一行一行すべてへの思い入れが過剰なのか、テンポが害されているかもしれません。とても美しい物語の予感がするので、縦書きPDFとかで文章をまとめ直したのを公開されたら、ぜひ拝読してみたいです。
侍JK、おじさんを拾う
- ユーモアのセンスが抜群だと感じます。
- 葵は偏屈な女子高生という設定だと思うのですが、やはりそれでも、語り口や思考レベルや言動やノリがだいぶ大人の女性のようで違和感があります。
- 木魚のビート、ワラタ。ショートショートに続き、乾のキャラの破壊力がすごい。
- 視点がぶれてるかも。「朝子たちが号泣しながら「スリラー」を踊っている頃、葵はハヤテ号と共に藪の中で倒れているおじさんを前にどうしたものかと思案していた。」が、葵の一人称パートに入るのは違うのかな?と。
- 「ここはどこだ? いや、おれは誰だ? 変態か?」は、面白いのだけれど、おじさんの口から「変態か?」が出てくるのは、状況的にも、おじさんの語彙的にも、ちょっと無理がある気がします。
- 1人称と3人称が切り替わったり、登場人物が切り替わるのは、いちおう破綻はしてないのだけど、短辺小説でここまで頻繁に切り替えられるときつい。長編小説で一章ごとに切り替わるとか、映像なら大丈夫かもしれませんが。。。
- 面白く読めたけれど、小説としてはどうなんだろうと感じました。文章に大喜利を適宜差し込んで、おもしろく読めるようしてくれているホスピタリティを感じるのですが、その頻度が少し過剰かと思いました。それが不自然さを生み出してる場面もありますし。
途中で読むのをやめてしまいました、すみません。理由は、単発のドタバタ劇の映像が続いている感じで、確かにそのクオリティは高くて、面白いと言えば面白いのだけど、物語が進行していないよう感じました。悪く言うと、先が気にならなかったです。テレビのバラエティ番組を見ている感覚で、どこから見ても面白い、どこで切っても大丈夫、という状態になってるかもしれません。
ダイソンの作陶
- ダイソン・リングが何なのかを読者が知っている前提とするのは厳しい気がします。僕は知らなかったので、小説を読み始めた瞬間、ダイソン・リングをググらなければなりませんでした。例えば、まずリングを見上げて、その景色や構造に触れながら、ダイソン・リングの設定を滑り込ませることなどが出来たように感じます。
- 「素材であるグラフェンの黒色が平原となっていた」も同様でした。グラフェンをググりました。その後の「エネルギーの吸収効率が。。。」のくだりも、僕の知識不足のせいかとも思いますが、何が書かれているのか理解できませんでした。
- 陶芸パートは面白い。
- すみません、中盤までがんばったのですが、それ以降は興味を保つのがきつかったです。作者の世界にある練りこんだ設定や造語や事象や考察が、読者も既に知っていて付いてきてくれている仮定で、会話や物語が進んでいく傾向があるように感じます。冒頭のダイソンリングや、グラフィンの下り、「長期人格収容刑」「〈カラダ〉の記憶はデリートされ再利用される。」「〈人格メモリ〉」「SHP13番区画から27番区画の太陽面」、etc.。僕の知識不足の可能性も大ですが、置いてけぼりにされているように感じてしまいます。
- 作品を通して何を達成したいのかがブレている印象です。恐らく作品のテーマは、「作陶の本質は内なる美の発見と追及」に収束されると思うのですが、それが唐突に、カタルシスへの積み上げがない状態で、セリフの応酬に乗せられている印象です。ジルダとの対決などが、何のために作品に存在しているのか、僕には汲み取れませんでした。
健康で文化的な最低限度のLLM
- ごめんなさい、よくわからなかったです、というか、妙に暗くて楽しくなかったです。
- テンポとか、爽快感とか、勢いで乗り切っちゃうところとか、僕が感じているリクさんの強味が、本作からは感じられなかったです。
- 文体を模索されている?いろいろなものがちぐはぐに感じます。パートごとに文章のリズムが変わったりする。なんで「俺」は一人称で、千代川直美パートは3人称なのか。パートを区切るアイコンが十字架なのも、内容とあってない感じで謎かも。。。
- 主人公に共感が持てませんでした。主人公はちょっと偏屈した奴、という設定なのかもですが、主人公の心の声で謎の不平不満や斜めに構えた語り口や独白がけっこう続くので、面白いと言うより、ただの気持ち悪い奴なのでは。。。と感じてしまいました。そして、語り手の口調や思考やセリフや思考レベルが中学一年生と感じられず、中年おじさんになってる気がします。ストーリー展開や、物語として何がクライマックスなのか、何がメッセージなのか等を含め、全体的に作りこみが雑な印象を受けました。
- 「線路を渡る地下通路に入ったところで、突然何も喋らなくなった」の下りはウケました。リアル。
- 作品全体から、怒りや不満が伝わってくる気がするのですが、それがどういう意図でこの作品に含まれているのかが汲み取れませんでした。梗概の段階では、LLMが絡んでくる、ちょっとバカ的で爽快なプチ恋愛学園物語の印象でしたが。。。リクさんは、この実作を読んだ後に、読者にどういう気持ちになってほしかったのでしょうか?
天岩戸の祈り
- うける!いや、やりすぎだろ(笑)!
何もかもがめちゃくちゃだけど、妙に統一された世界観!
面白すぎて、読むスピードが速くなっていくというより、もっとちゃんと味わいたいとどんどんゆっくりになりました。すごい!!!
- いちいち小さなエピソードが笑える。太陽よ、人の空気を読んで勝手に沈んだりしないでくれ(笑)。ちいかわは、いや、アウトだけど、もうセーフでいいです(笑)!
- 文章がうまい。すらすら読める。常にキャラにわかりやすいアクションを与えながら、回想でキャラを深めていったり、「遅く入って早く出る」の繰り返しでテンポよく進めていく。マジうまい。
- 皮を剥がれた馬は、まじで意味がわからない笑笑。俺でも引きこもる。
- キャラを深めるには、説明でなく行動で示せ、というのが一つの黄金律と思うのですが、それがすごいうまいです。参考になります。次の一文とかすごいなと思いました。
天鈿女命は知性を感じさせる雰囲気が苦手だったのでその場を離れたかったが、スマホの電源が入らないという状況は一刻を争った。仕方なく声をかけた。
「あのお、スマホの電源が入らなくて、それに世界も暗くて大変です。どういう状況なんですか?」
…
チッ。天鈿女命は舌打ちをした。何か難しい話が始まったからだ。オモイノカネは続ける。
- 歌って、踊って、破壊するのね!
- タヂカラオ、だからお前はダメなんだ笑。
- イシコリドメはサークルクラッシャーです。
- さりげなく小泉構文いれてますよね笑?
- 峯岸、はわからなかった。(と思って調べたら、なるほど、とわかった)。クライマックスで止まってしまったのでテンポ落ちた。攻めすぎたのかも。知ってる人なら最高に笑ったかもしれない。
- 悲報:アマテラス。プリン堕ち。
- エンディング、すばらしい…
- 使われてるネタやユーモアのレベルが出版NGラインを超えまくっちゃってるが、文章や小説技法のレベルがめちゃくちゃ高く、3人称多元視点のお手本みたいな作品だと思った。青春ギャグなのに、しっかりウズメのCB(Circle of being。トラウマ体験)も入れてきて、エンディングでカタルシス。プロの方が趣味で匿名参加してるのでは。。。
細やかなご感想を頂戴し、ありがとうございます、、!うちふるえましたm(_ _)m
(ものすごく簡素な感想を既にnoteで出してしまっていて申し訳なく思いました、、)
偽名を名乗る場面は、この実作がもっとよちよちの生まれたてプロトタイプだった頃、文芸部のお仲間からポジティブなフィードバックを頂いてとても嬉しくて、もう少し書こう、と思った箇所だったので世に出せて良かったです!(作品として未完なので完結に向け書き進めます。)
オーソドックス構えという言葉、後ろ回し蹴りの描写は、格闘技の先輩からも、”やってればわかるけど、やってない人はポカーン、じゃないかなぁ”とコメント頂いたので、そうだよなぁ、、と思いました。ご指摘下さり、ありがとうございます。
(一応以下の文章で解説を試みますが、、次回会場でお会いする際に(ぶつからないように気を付けつつ)実演することも可能です。もしもニーズがあればw)
>右フックを外されて、相手は自分から見て時計回りに旋回して、回転かかと蹴りで自分の右こめかみを狙ってきたから、自分が右手でガードしようとした?
はい。ここまで完全に正しいです。そうすると、右手のガードは高い位置にあるため、右脇腹のガードは甘くなっています。
>自分の肝臓部分への蹴りはどこから来るんでしょう(こめかみを狙ったかかと蹴りが軌道を変えて肝臓を下からけりこむような動きも物理的に無理
右こめかみを狙う蹴りを、相手のガードを見た上で、レバーブローを狙う個所に変更し、下からけりこむことは、人間の動きとしても無理ではないです。
たぶん、後ろ回し蹴りを相手の右こめかみから袈裟斬りのように左体側へ打ち下ろす、ないし、頭を刈り落とすようなイメージだと(なんとも物騒な表現ですね)、・・・軌道が違くない?ということになるのかな、と思うのですが、
正樹がやっている動きは、右こめかみに当たる瞬間を後ろ回し蹴りの円軌道の頂上付近に設定し蹴りを放とうとする→円軌道の途中で相手のガードを確認し、狙いをこめかみから腹部に変更する→後ろ回し蹴りとバックスピンキックを混ぜるようなイメージで、右膝の位置を変えずに、軸足(左足)の踵を相手に向けてさらに返して、右の体側(たいそく)のバネを活かす感じでレバーブローで狙う位置にむけて右の踵を蹴り込んで、重みがのった強打を放った。
というような感じでした。伝わったらよいですが、言葉で難しければ演武もします(?)
・「私」が「順也」をどこまでわかっているのか
・順也の主観視点のリアルさが担保されてない
はまさに、本作で肝にしている・なっているところという事もあり、汲み取って頂いて有難く思いました。。生姜道之という作者(わたし)がSFに対しものすごく初心者なので、参照すべき作品も共有頂いてとても助かります。ありがとうございます。
なお、サイトを確認する限り、恩田龍平さんの第3課題の梗概について、まだ私は見ることができていません。
https://school.genron.co.jp/works/sf/2024/subjects/3/
無事公開されること、首を長くしてお待ちしております。
ぜ、ぜんぶ書いてからMLに流そうとしたのに笑。
なるほど!いや、ケチをつけてるわけじゃなくて、自分も格闘技はそこそこ経験あるので、それって効くのかな?と感じたのです。袈裟斬り的に脇腹に狙いを変えるのも不可能でもないとは思ったのですが、それって上向きの円軌道として始まったものを、腹筋の力だけで下にかき消す訳だし、ましてはそれを軸足だけでやるのなら、モーメントが乗らないな、と。あと肝臓って下から打たないとあまり効かないし。。。テコンドーでしょうか。
実演しましょう笑!
ご返信ありがとうございます!
無事に、第3課題の梗概も拝見し、勝手ながらnoteにて感想を共有致しました。
1作品4行までとしているので、あちらに書ききれなかったことをこちらに書いてしまうと、ドラッグについては先日こんな記事もありましたし
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN22DYT0S4A021C2000000/
ドイツでもしばらく前に合法化されていますし、今の世相を反映されているのかな、と思いました。
あと、共依存は私的な関係だけではなくて、例えば仕事の場とかでも、”それって不健全な関係な気がするけど、、まぁ、本人達がよければいいのかな、ひとさまの生き様に口を出しすぎるのは違うしな、いやでも、義を見てせざるは勇無きなりとか言うしなぁ、うーん、、”とか色々と考えているところでもあったので、やっぱりテーマになりうるんだよなぁと拝見致しました。
ケチをつけらてる感じはしないですよ!私の表現力の問題です(^^;)。
空手、ボクシングをやられていたんですよね。
肝臓は下から打ち抜くのもご指摘の通りで、左手で打つなら右手で壁を作りながら左の腰骨を相手にねじ込んでぶつける感じで背骨に向かって下から打ち抜かないと効かない気がします。それを蹴りで効かせるなら、、
右膝の位置を変えず、と書きましたが、腹筋でかき消すというよりも、縮んでる右脇腹をさらに縮めて(右足を自分のおなかに更に畳みこんで)蹴り込む、って感じですかね。。私が親しんでるのはテコンドーよりマイナーな競技で、マイナーすぎて競技名がバレるとたぶん身バレするので、実演する時にこっそり共有させて下さい(笑)。
note見ます!
リバーブローについて語るの単純に面白いですね!キックもやってました。その後も考えたんですよ。確かに、身体が柔軟で、そもそも軸足に体重が残ってる蹴りなら、確かに自分の脇腹の収縮で軌道変化できそうだな、とか笑。あとは、例えば回転回し踵蹴りを、側面からこめかみを狙う軌道でなく、馬の蹴りのように、顎に向かってくる軌道と思ったら下に来た、なら完全にモーメントが乗るな、とか笑。
アクションを描くと、それだけで、こういう面白さもあるんですね。ちょっと勉強になりました。
いま少し身体を動かしたところ、僕なら、その状況で自分のオーソドックスへの左フックに合わせて何を使ってもよいカウンターするなら、右足軸のスウェーでかわした後に右足で地面を蹴る力で左肘を肝臓に突き立てるか、リスクを冒しても決まれば絶対に失神させられるぐらいの打撃を与えたいなら、スウェーの後に左足軸で回転して右肘を突き立てますね!でも肘をボディーに使っていいってどの格闘技でもNoな気がするし(ムエタイ?)、実際どうなんでしょう笑。
ありがとうございます!
馬の蹴りみたいな膝を下に向けた蹴りだと攻撃の選択肢が狭まってしまう気がしており、私自身は右脚の太ももを地面に平行にしてバックスピンと後ろ回し蹴りの両方を自在に出せるようなイメージを持ってました(上段中段下段、プッシュ+回転の6種類ですね)。
ムエタイを習ったことはないのできちんとしたことは言えないのですが、
https://www.gentle-world.tech/punch/elbow-strike/
を拝見する限り、肘うちで狙えるのは顔を含む頭部(主な格闘技だとその危険性から後頭部への打撃はルール上ダメな気がしますが)のように見えますね。
恩田さんの記載された回転して肘を肝臓にめがけて打つのは、ストリートファイトではあるかも?知れないなと思いました(肘はほぼ骨ですしね、、失神というか、普通に怖いですね)。正樹は興行としてのキックボクシングルールの中で破壊を試みようとしたのかなと思ってますが、確かに、ルールから逸脱した動きでもいいから手段を選ばずぶっ壊してやる!みたいなこともキャラクターによってはありうるかもしれないですね。。
恩田さんの描くアクションも読んでみたいなと思いました^^