2024年9月の日記

9/30 ■那須から東京の家に車移動。移動中にaudibleでKazuo Ishiguroの「日の名残り」を聞き終わった。この作品を日本語で楽しんだのは初めてなのだが、よかった、というかaudibleの朗読者がはまり役だったのか、英語で聴いたり読んだりした時よりよかったかも。■Ishiguroの作品でも、例えばNever let me go(私を離さないで)は、僕は日本語版はあまり好きじゃない。なぜかと考えると、恐らく、日本語では「私」「僕」「俺」と言ったように、一人称を定めることでイメージが偏向されるからだと思う。■Never let me goは、”My name is Kathy H. I’m thirty-one years old, and I’ve been a carer now for over eleven years.”で始まるが、これはかなり事務的というか、自分自身に対する一種の無関心さみたいなものが染み出ている。ただこれが日本語で「私の名前はキャシーHです。私は31歳でして、もう看護人を11年勤めています」となると、ご丁寧であり重苦しい(carerという単語と看護人という単語の重さみたいなものもあると思うが)。■逆のパターンだと、夏目漱石の「吾輩は猫である。名前はまだない」があり、この一文のニュアンスを他の言語に訳すことは無理な気がする。考えが散らばっているが、やっぱり言語にはその言語自体が持つ特質があり、それにより性格や論理性や哲学的な違いが生じたり、文学等でも翻訳不可なものがたくさんあると思う。実際自分も、日本語の性格とアメリカ英語の性格はだいぶ違うと思う。

9/29 ■仲良くしてもらっているだいぶ年上の友人が那須の事務所に遊びに来る。那須高原の中国系のホテルのリニューアルオープンに呼ばれたとのこと。■夜にラインが来て、漢満全席コース(中国の伝統的な宴会様式のようなもの)の写真が続々と送られてきた。スッポン丸煮やらナマコやら。■僕も中国ではスッポンやらナマコをご馳走になったことがある。スッポンの肉は意外に違和感ない(カエルみたいなもの)。ナマコはちょっとキツイ。土臭い。ただし今晩の友人のナマコは美味しいらしい。もっともそのお方は確か猿の脳みそとかも普通に食べたらしいから、標準的な感想ではないかもしれない。僕は豚の脳は試したが、生理的にダメだった。■ちなみにナマコは漢方として優秀であり、よい食べ方は、細かくしてお粥にいれることだ。北京の丸の内の真ん中に住んでいるような親戚がいるのだが、その親戚の家では、(家政婦さんが作ってくれた)ナマコいりのお粥を毎朝出してくれて感動した。中国人のエリートは、子供一人につき家政婦一人だ。

9/28 ■過去何日間か、期日が迫った裁判の資料作り以外の何もしていない。森の中に住んでいるのに陽の光を浴びておらず、一日の唯一のリフレッシュが、ゴミ収集所まで車でドライブしてゴミを運ぶ時間だけという状況…■裁判(私は原告です)は、どれだけ文字数を圧縮し、判事が既に納得しているであろう点は判別してそれは触れず、反面、相手方が認否を避けている点を論点に引き釣りだすためにどう客観的証拠や判例・判決と結びつける論理を繰り出すか、という気がしていて、ある意味、読者(判事)の脳内で自分の文章がどう再生されるかのシミュレーションであり、小説に通ずるものがある、のかもしれない…■食事が、ヨーグルトかナッツかカップ麺か煮た芋かほうれん草お浸しだけ、という生活が何日も続き、精神が人間らしくなくなっている。裁判は楽しいけど、どうやって相手をぶちのめすかみたいな思考に囚われたくない。別に金に困ってないし。目の前にタスクとして降ってくると夢中になってしまうけど、自分の限られた時間と創造力をこんなことに使いたくない。自分がありたい軸にしがみつけるよう、改めて、本質的に頑張る必要がある。

9/25 ■とある脚本指南本を読み終わった。いま書いてる小説が3分の1を経過した辺りで、つまらないものに思えて悩んでいたのだが、その本には「まさしくその辺りで悩んで諦める人が多い」とまで書かれてあり、苦笑。■構成の骨はやはり葛藤。まず葛藤の芽が生まれるまでの設定を描き、そして葛藤の発生経過とその結果を描き、最後に人物の変化で葛藤が解決される。そのためには、主人公のドラマ上の欲求(どういう状態で始まり、何に対面し、どう変化するのか)は、事前によーく考え抜く必要がある。■自分が描いている世界観に浸りすぎず、キャラに正しい行動を取らせたくなる欲求を程々に。ただ自然な流れを描いても葛藤は生まれないので、軸に沿ってシーンをコントロール。■とりあえず何かが形になりそうでゲンロンSF講座に感謝。来月の中旬には次の課題が提示されるから、その時には手元にボールがないようにしたい。

9/24 ■那須高原の事務所(古民家)を直しながら仕事してるが、今日はテント式カーポートの組み立てを少し進めた。黙々と穴を掘ったり水糸で水平を出したり。DIYは楽しいけど、もう3ヶ月ぐらい修繕し続けてるので気持ちが沈んでいる。。。■読んだ受け売りだけど、先日のイスラエルの通信機爆弾の件で、中国製品に対するセキュリティ意識が更に刺激されたと思われる。中国で生産されたテスラ車が同様に爆発しない、とも言い切れないのが怖い。テクノロジー全般で、どう発展させるかより、どう安全を担保するかの時代になってきている。■仕事のやることが増えてきて小説にうまく取り組めてない。頑張り時。朝早く起きて、まず小説をやるのだ。

9/23 ■東京→埼玉の実家→那須の事務所に車移動。運転中はカズオ・イシグロの日本語版のaudiobookを聴く。この数年で日本でもaudiobookが流行り出してコンテンツが充実してきて嬉しい。■好きな芸術作品は色々な解釈で楽しみたい。例えばピアノでシューマンのKreisleriana第一曲を弾くとして、人によって本当に違う。■文学を定期的に翻訳し直す必要は認知されてきたが(例えば村上春樹がグレート・ギャツビーを訳しただの、望月先生がアンナ・カレーニナを新訳しただの)、それがaudiobookの普及で、朗読によって文学作品の印象が異なる、みたいな段階を味わえるまで日本も達してきたのは嬉しい(audibleとaudiobookで競ってる)。■那須に着き明日からまた小説に取り組みたいけど、頭が疲れてるのでアニメを観る。前から見たかったDr.STONEのシーズン3を観る。やっぱ面白い!

9/22 ■一昨日は始発帰りだったので、この日は午後4時ぐらいに起きる。■てんやで夕飯たべて、スーパーでカツ丼買って、家に帰ってヒロアカのアニメを見て寝た。ヒロアカはナルトに迫る群像劇だと思う。でもナルトの方が悪役の深みがあるかな。ヒロアカではエンデヴァー、ナルトでは二代目火影が好きです。

9/21 ■ゲンロンSFの初回会合に参加。楽しかった!歳をとっても新しく友人が出来るのは幸せ。あと憧れの先輩方とたくさん話せて感動。自分も憧れられる存在になりたい。■梗概バトルは良いデータがとれた。人に読んでもらう以上、目の前の人が好きそうな印象(少なくとも梗概の段階ではそういう匂いがする)を生み出すのも創造的な仕事、と懇親会でTAの河野咲子さんとお話させて頂きながら思った。ある意味で梗概と実作の連続性は必須ではない。梗概は新書の帯でもある。■講師により、帯として魅力的に仕上げられているか、梗概から見るに実作が成立しそうか、などの塩梅が大きく異なるのかも(そしてこれが点数と最終選考結果の不一致の原因かも)。わくわくするね。

9/20 ■明日のゲンロンSFに向け那須から東京に車移動。快晴。■車は、ホンダ、フォルクスワーゲン(VW)、メルセデスで4台目。ホンダも良かったけどVWに変えた時に外車はマジで真っ直ぐ走るので高速が楽でびっくりした。メルセデスだと更に運転ストレスが減って180kmは休憩なしで走れるようになり、猫も喜んでいる。■東京で外車に乗る利点は僕には不明だが、長距離なら欧州車は良い。昔は外車なんて不要な贅沢だと斜めに見てたけど、いつの間にかファンに。世の中知らないことばかり。オープンでいたい。■夕方に工事のアフターチェック打ち合わせ。トイレの便器はTOTOが良くLIXILはオススメしない。建材や設備も調べだすと奥が深い。

9/19 ■朝起きてさあ小説を書くぜ!とコーヒーメーカーに水を入れてスイッチonして、顔を洗ってキッチンに戻ったら透明の液体がドリップされてた。豆から挽くモードと粉モードが間違ってた。白湯を飲もうか迷ったがもったいないけど捨ててまたドリップした。■玄関から音がするなと思ったら、どうやらドア越しに6匹ぐらいのサルの群れがわいわいやってるっぽい。不本意だけどそろそろ高価なエアガンを買わないと家を出れなくなる。■自分の小説がどうも面白く着地していきそうにないので一旦離れて、積本してた脚本指南本を読む。読むほど自分って全然ダメだなと打ちひしがれるが、言い訳しても何も生まれない。どうも今の作品では、主人公のドラマ上の欲求がはっきりしてなさそうだ。

9/18 ■僕は不動産会社をやっているけど、不動産業界とは本当に謎だ。相手に聞かれたことを答えて、その上でこちらの意思を伝える。すると相手から、こちらの返答は無視して相手の要求が伝えられる。そして皆、ご連絡が遅くなってしまい大変…とかの繰り返しでやたらメールが長く、妙に難しい言葉を使いたがる。■僕は人の間違いなんてわざわざ指摘はしないけど、責任問題で言質を取っておかなきゃいけない時とか、相手のミスを明文化しないといけない時もある。そんな時、ミスした方が逆ギレするのが不動産業界の七不思議。■大手は流石にそんなことしないけど、大手は大手で白々しい嘘を堂々と言っていいという謎の雰囲気もある。でもまあ、最近はネットでみんな賢くなってるから、それに応じて業界も変化を迫られていくのかな。

9/17 ■いま書いてる「天国への階段」(梗概だと「彼の十字架」)が5700字まで来た。8/25に書き始めて、今日で作業11日目。昨日は展開に悩んで全然書けず、夢の中でも考えてた。このままだと、どうも読みどころがない気がする。自分が悩んでいたり、自分でどうかって思いながら書き進めて、人に面白いと思えるものが生まれるのだろうか。■宗教を扱うのは難しい。僕自身は無宗教だし、宗教的な色眼鏡で見られたくない。宗教を書きながらなるべく宗教色をなくして、ユニバーサルな概念にしようと四苦八苦してる。遠藤周作はうまくやってたけど、1.6万字の制限で観念的なことを語ろうとすると説教くさくなる。語らせるのでなく行動で見せたいのだけど出来てない。物語をもっと短くすれば出来るのかも。■とりあえずこれはこれで書き進めて書き終わって、人にアドバイスもらいたい。