「うたたねのように光って思い出は指先だけが覚えてる熱」
・ただただ景色が綺麗で文章に情緒があって、何か大きな出来事やストーリーに起伏がなくても、クラシック音楽を聞くみたいに読み進められる魅力がある。
・不思議なような怖いような独特の雰囲気がある。今にもはちきれそうな姉さん。
・細部の心理描写にぐっとくるところが多くて、切れ味が鋭い。「この子を生んだら何かを失うんじゃないか」など。また、彼氏の悟さんをうまく言いくるめる際の心理描写は、超リアルで怖かった。
・一つ一つのシーンをとても大切に書いている印象で、また文学的な意味で日本語がうまい(だから、ただクラシック音楽みたいに読み進められるのか)。「一軒家の住居兼店舗といった佇まいのちいさな店から流れてきていた。」というシーンがあったが、ここは、一人称のツバサのキャラから見ると、「小さな店」ではなく「ちいさな店」の方がまさしくしっくり来るわけで、そういう上手い日本語を読むだけでも愉悦がある。
・物語のはじまりから中盤にかけて、これは、幻想文学なのか、または、シニカル、ホラー、純文学なのか、どこに向かっているのだろうと感じてしまった時にストレスを感じた。
・「~みたいだ」がやや多い気がする。体言止めの方が情緒でる場面もある気がした。
・切符とロマンスの神様とタクシーのタブレットは同じ時代ではない気がする。
・奥村さんがただの良い人すぎて引っ掛かった。一行でも嫌らしいとか寂しそうな仕草とか書かれていれば、引っ掛かりが生じなかった気がする。
・タイトルが、読み終わると「なるほど」とは思うのだけれど、説明しすぎな気がする。
・母親が、子供がフェンスで手を切ったとして、「間違いだった」とは漏らさない気がした。「間違い」という言葉の背景には選択があると思うのですが、姉さんが消えたことに両親の選択は含まれていないような。二人のうちのどちらかを救えた、とかの背景があったなら、母親がそう言っても自然な気がします。
・全体的に、記憶の世界、の設定が作品の足を引っ張っているように感じる。ママの身体でママもまだ知らない自分が生まれた街を見に行き、その景色をママに伝えたいと思うシーンとか、情緒的で斬新なのだけど、設定の無理が大きすぎて物語の世界に入り込めないので、楽しめなかった。作者の方も悩まれたと思うのですが、ママの記憶の世界で、ママの記憶にない部分を歩き回り、そこで人と言葉で交流するのは、呑み込めないレベルの破綻に感じました。
それを解消しようとすると、例えば「ママの記憶にない部分はデータベースが補完します」とか、「昏睡しているママの意識を仮想世界に何も知らない23歳として取り出し、人生の最も楽しい時間を生きてもらいながら死ぬターミナルケア。そしてそこには家族も参加できる。。。と思ったら、23歳のママは、ママが語っていた23歳の時とだいぶ違うことがわかり、そこで新しいママを知る、、、」とかも設定出来たかもしれないけれど、そういう技術細部に踏み込んでいくのは作品の方向性とも違う気がするし、難しいんだなぁと感じた。
・姉さんの設定と記憶世界の設定が絡まっていないように感じた。ツバサが姉さんを見えることの意味も回収されていない気がする。物語のドラマがママとツバサなら、姉さんは透明スライムでなくても、「ママがずっと押し入れに閉まっていたらしい小学生が描いたような絵が、23歳のママの世界では壁に飾られていた」とか、何かの象徴でも足りる気がする。そういうば村上春樹が、「嘘は一個まで。さもなくば読者がリアリティを感じられなくなる」とか言ってた気がする。
・日本語が上手くて、独創的な心理描写やシーンを作り出す力がすごいので、設定はふわっとシンプルだと良い気がする。ありきたりなタイムマシン設定でも、この作者なら新しいものが生まれると思う。または、新しいSF設定やギミックを作り出さなくても、上田早夕里さんじゃないですが、「人類が火星に移住した後」とか「何か知らんが海底が隆起した後」ぐらいの、ふわっとした設定だと、変なつっかかりを生まず、綺麗な文章と情景が生み出す作品の魅力に集中しやすい気がする。設定で違和感を感じさせてしまうのがとてももったいない。
・イーガンの「適切な愛」(『しあわせの理由』収録)という短編が、特殊な妊娠の状況の女性の心理を一人称で書いていて、登場人物も基本的にその女性だけなのですが、そういう、心理や感性をひたすら突き詰める作品をこの作家さんが書いたら面白いんだろうな、と感じた。また、この作家さんは、たぶん情緒的なだけじゃなくて猟奇的な感性も持ち合わせてる気がして、例えばトマス・ハリスの「ハンニバル」みたいな猟奇性と芸術性と心理描写が絡み合う作品も書ける気がする。
SOMEONE RUNS
・これは、、、すごいです。叩きのめされた感じです。一気に読まされてしまった。
・1ページ目からぐっと引き込まれる書き出しだと思いました。最低限のことを説明しつつ、飽きさせない。また文章にリズムよくはさまれるユーモアが秀逸で、読書のスピードがぐんぐん上がり引き込まれ、最後まで一気に読みました。「あなたは専門じゃないから」「ドクターショッピング」「私の脳は基礎が腐ってるそうで」「土の味がするふりかけ」「手術が初めての怪我となります」など、まじウケました。
・精神疾患の診断が出た時の母親の描写の、「喜びを抑えているのか、悲しみを抑えているのか」というのが秀逸で、主人公やその家庭が超リアルに浮かびました。
・小さいことですけど、高校に入ったときに、「対人関係において、僕達のことを無敵の存在だと私は考えていましたから」というのが唐突に感じました。RSAで、自分の中に自分でないものが生まれ、離人症が進み多重人格化するのはわかる。ドーパミンで良性行動に自動的に向かう僕達を見て、こいつらに任せておけば大丈夫と私が感じるのもわかる。でも、僕達の行動範囲は家庭内であり、対人関係の成功を納めていたと感じるまでではないように見えるので、「対人関係において、僕達のことを無敵の存在だと私は考えていました」は唐突に感じた。その前に例えば、「ボクが毎朝ランニングしているうちに、早朝散歩のおじいちゃん達から次々と褒められ、ちょっとした有名人になった」とか一行あれば、違和感なかったかも。
・深読みかもですが、「僕」という漢字自体が「しもべ」という意を含むので、そういう意味でも、「私」と「僕/ボク/ぼく」の関係性は上手く文字に表れている気がします。あとタイトルのSOMEONE RUNS。なるほど、僕/ボク/ぼく という人格プログラムが私の身体を走っている訳で、SOMEONEがRUNしてる。そして母や片思い人を殺して私が「走る」。おおお、なんと良いタイトル。
・RSAの仕掛けが物語に十分に活かされていない気もする。現状、RSAという設定を取り払っても、単なる離人症/多重人格と、それが何かのきっかけで統合される、という物語で成立してしまう気がする。物語の山となる場面(自分というものを自分で定義したくなった、と気づく)も、一般的な離人症的な発想で、RSAならではというものではないかもしれない。
RSAの特質(スイッチを押すことでどの自分が身体の制御を得るのか切り替えることが出来たりする点)がもっとストーリーに食い込んでくるとか、RSAの使用から哲学的なモノローグが深堀りされる(例えば、自分が自分に自由にドーパミンを得させることが可能になることで、人間にとっての動機付けとは何なのかとどんどん考察が展開される、等)とか、そういうものがあると、RSAという仕掛けがもっと活きた気がする。(既知でしょうが、イーガンの「しあわせの理由」は、やはり仕掛けを土台に、そういうレベルの考察が繰り広げられているのが面白いです)。
・序盤を読んでいて、なぜか自分の中ではロシア文学を読んでる気持ちになりました。ナボコフ的な。そして、青葉台という単語が出てきた瞬間に、それはそれで青葉台という言葉が持つ「ハイソでそこそこお金持ちの中流階級の家庭」というイメージから場面がより具体化もしましたが、同時に、それまで自分の中で作り上げていた抽象的な作品世界が破壊された気もあり、自分勝手ですが、微妙にストレスでした。
青葉台、神奈川、私立高校、高校の部活、大学サークルなど、それぞれの含蓄から想像が強化される部分もあるのですが、この話は何か普遍的な深淵に触れている気がするので、そういう固有名詞や場所を排してもよいのかなと感じました。その方が翻訳されやすそうだし。
例えば「羅生門」は、まさしく日本的なあの羅生門という場所で起きている出来事ですが、門自体や場所の描写や背景は特に書かれていない気がし、それにより、ただの「門」と抽象化されることで、異なる文化の人のそれぞれの持つ「門」のイメージで作品場面が補完され、作品のエッセンスがより純粋に伝えられ、読書体験が深められているのでは、、、と僕は考えるのですが、どうでしょうか。別の例だと、「老人と海」とかも、別にどこの海でもよく、読者の頭に浮かぶ海でよいじゃないですか。そういう感じで、この作品も、具体的な場所を与えず、世界中の読者それぞれが象徴的に持つ、家庭、高校、大学、大学時代の旅行などのイメージに委ねた方が、ひょっとしたら読者の心により突き刺さる気もしました。
那由多の面
・肌につけるデバイスから情動を読み取り、それにより能面の裏側の表情に迫ると言うのは、デバイスの技術的なリアリティラインが程よくて納得がいくし、それによってまた、能や人間心理に新たな考察がされていくのは、とても噛み合っており、新規性があるものだと思いました。これこそ、SFデバイスによって、現実に新たな(そして地に足の着いた)考察がされる訳で、とても参考になりました。
・(読み飛ばしかもですが)、時雨の年齢の描写が序盤でなかった気がして、年齢がなかなか定まらなかったです。
・時雨の鏡の間のシーン、そしてそれからの能面を掘るシーンが、とても面白かったです。一般的な能面の解釈(全ての表情になりうる中間的な表情)というものを超えて、「なにものでもないから、なにものにもなりうる、空のようなもの」という解釈にいたる道筋が、デバイスの仕組みやそれまでのストーリーと上手く絡み昇華されているようで、納得感があり、読書を通じて何か新しい知見を得られた気持ちになりました。
・しかしごめんなさい、僕はこの作品を最後まで集中して読むことが出来ませんでした。いろいろと詰め込みすぎの印象があり、疲れてしまいました。例えば和紙を電子皮膚に活かした説明のくだりは、技術的に「?」と感じる部分もあったり、またそれが特にワクワクするようなものでなく、その後の展開との繋がりも薄いように見え、読書のリズムに悪影響しか与えていないように感じました。序盤の大和路さんの諸々の描写も、お約束の反応を繰り返し読まされているように感じ、自分にはストレスでした。
LLMとAIのくだりも、急にまた大きな風呂敷が広がった気がして、疲れてしまいました。ストーリーの中盤以降に、新しいうんちくが出てくるのは、読者を疲れさせてしまうのかな?また、すごく失礼なことを言ってしまうのかもですが、作者さんの作品では、一つの技術設定やそれが巻き起こすドラマが連続して深堀りされていくのではなく、何かちょっと面白そうな感じの表面的な技術設定とそれによるシーンが、脈絡なくぽつぽつ出てくる印象があります。また、リアリティラインを崩壊させると読者の信頼がなくなってしまうので、技術設定は、一つ足すごとにリスクが増えるのかも、、、
また、空の表情の理解を得ることで物語がクライマックスに達したと思ったら、そこから時雨さんと母の話が放り投げられ、ペルソナとの会話が始まり、「え、まだ続くの、、、」と感じたのが正直な気持ちです。その半面、空の表情の理解に達した時に、「自分は何者でもないと思っていた、心のどこかで」と自分の話になるのが唐突に思えました。飛鳥の内面が十分に描かれていなかったのかもしれません。
真夜中あわてたレモネード
・面白かったです!全体を通して、さわやかに、ほっこりと、よい読後感でした!どのシーンも無駄がなく、作品がさっぱりと最小限にまとめられてる気がして、良いリズムで、一度もストレスを感じることなく読めました。また構成がちゃんと機能している気がして(バックストーリーを物語の途中でうまくいれている、とか)、書き出しも、よいシーンから始まってる気がします!
・自分が中学生ぐらいの時にこれを読んだら、すごいわくわくして、分子だとか、四次元だとか、そういうキーワードを図書館とかに調べにいっちゃう気がします!少年/少女心をくすぐるワクワクというか、、、そういうのを書けるのは才能だと思うし、商業的な需要も、文化的な意味も、一般小説よりむしろ高いのかも。
・僕は頭が固い人間なので、「この作品での四次元ってどういう概念なんだろう、、、?(ドラえもんの四次元ポケット的な空間?)」とか、「光で見てしまうと人間の中まで見えてしまうってのは、どうなんだろう、、、?」とか気になってしまいますが、たぶん、そういう細かいところを考えて読む作品ではないでしょうし、(仮に読者を中学生ぐらいまでと設定するなら)、そんな細かいことを現実的に書くより、四次元とか光とか分子とかへの興味を引き出せる文学であることが重要なので、これはこれが正解な気がします。
・主人公の年齢だけが気になりました。18歳だと思うのですが、18歳の男性(男の子というか、男性な気がする)が、人の庭に繰り返し侵入していると、それを見たお嬢様や執事達はほっこりしないような気がします。それが許されるのは12歳ぐらいまでな気が。あと、18歳の男性は、犯人一人ではぱっと車に押し込めないんじゃないかなぁ、とか。でもその年齢にした理由もあると思うので、理由を聞いてみたいです!
聖武天皇素数秘史
・すごい!ブラボー!超おもしろい!藤琉ワールド!!
・僕は小説でのバトル物には苦手意識があるのですが(白けてしまう自分を感じる)、藤琉さんの作品は、本人たちは真剣なのに光景がすごいシニカルだし、またバトルの強い弱いも、ちゃんと理が通っていて、その理がどう展開していくのだろうと独特の魅力があり、ずっとにやにやしながら読みました!聖武天皇が毎回よだれをだらだら垂らしながら執金剛神を生んでいるのが、書かれてはいないけど気の毒でした(笑)。あと執金剛神のデトロイトスタイルで吹きました(笑)。
・なんかもう、とにかく発想が異質。素数の大きさを戦闘力とするとは、、、。仏教SFとか天皇系とかはある程度先駆者がいて、よほどのものじゃないと不利な気もするのですが、これはよほどの変な(だけど不思議に理が通っている)ものだと思います!あとやっぱり、文体というか、ただただ変な空気をごり押しで気持ちよく読ませる文圧みたいなものがある。たぶん作家さんもノリノリで書いているのでしょうが、独りよがりにならず、読者の意識とシンクロするリズムである気がします。
・ストーリーの最初の伏線にきれいに着陸して物語が閉じるし、物語にたまに差し込まれる、唐と日本の関係や、日本という名の由来とか、そういうものも、知的好奇心を満たす良いスパイスとなり、作品の文学性を高めていると思います。最初から最後まで、楽しくにやにやしながら、でもちょっと何か深淵なものにも触れて自分が賢くなった感じがする、ただただよい読書体験でした。ありがとうございます!サインください(笑)!
アンドロイドの居る少年時代
・さすがです。感動しました。
・具体的な技術設定で現実の延長の世界を創り、そこで生まれる倫理や感情を描いていると思います。恐らくこれがSFの王道で、そこに正面から取り組まれ、人の心に響き、新たな気づきを与える作品が繰り出されたように感じ、敬服です。
・ナキの名前の由来が少し気になりました。
・祖母の性格描写(他人のために生きることでしか関係性を持てない)がとてもリアルでした。ところで、祖母がナミに、ほのかの教育方針みたいなものを話すシーン(父親は息子のことを最優先にしているのか?)がありましたが、これが、よくも悪くも、いやどっちかというと、自分にとっては悪い方に、controversialでした。
現実世界では、親戚とは、政治の話はしない方がよいとも聞きますが、教育方針や、子育てにおいて親がどこまで子供との時間を優先するかという問題も、人によっては強い拒否感を感じさせ得る話題なので、扱いが難しいんだなと感じました。作品全体を通して、こういう一つのcontroversialな問題に向き合うのなら良いのかもしれませんが、物語をドライブする上での一要素として使うには、読者に不要な不快感を生み出しかねないリスクがあるのかもと感じました。
・ナミがほのかの目の動きを観察して、嘘をつくパターンでないと感じるシーンに、にやりとしました。ユヴァル・ノア・ハラリが言っていたと思いますが、AIおよび機械は、人間では不可能なレベルで色々と観察と分析ができるので、人間の情動の理解という側面でも、徐々に人間をしのいでいくのだろうと感じます。
・これは深読みでしょうが、ナミが自立的にほのかを最優先対象としたり、フォーラムに参加してほしいとの祖母の頼みに答えていたシーンから、ロボットの安全性の考察が自分の中に立ち上がりました。僕はAIとロボットの脅威は、それが人間にどこまでも従順であるからこそ、だと思っています。つまり、人間は多様であるものの、大多数が、合理性で収斂される集合的な倫理観に収まる半面、それを逸脱するサイコパスや破壊主義者もおり、そしてそのような人にも、ロボットは等しく従順で、また強力だからです。それを考えた時に、本作のように、ロボットがただオーナーに従順になるのではなく、自分で価値判断をし、また社会と交流していくような場合は、ロボット自身の自我も自然と集合的な倫理観に収斂され、結果としてロボットが人類の敵になるだとか、何か破滅的な行いをするリスクがとても減るのでは、と感じました。つまり、ロボットが意思(に似た何か、又は意思そのもの)を持つように技術進化を促し、また、「ロボットに人権」じゃないですが、そういうレベルで社会参加をさせて行く方が、人類にとって安全なのでは、とか考えました。
・ナキのボディを探すときに、「引き継がなくていいんじゃないの。機械を買うってそういうこと」というのにも考えさせられました。機械を、機能を満たすものとして見るか、感情を満たすものとして見るかは、割とわかりやすく分かれるな、と思いました。車は、大体の人は機能やステータスという面で見ているので、みんな新車は嬉しい。でもそれが、自分の青春時代を過ごした旧車とかだと、「そういう問題じゃないんだよ」と乗り続けますよね。バイクなんかは、もとから感情を満たすものとして買われる場合が多く、多くが後者ですよね。アイボぐらいだと、中身を引き継がない、中身を引き継げないなら買い替えなど絶対にしない、となると思います。
そう考えると、2024年時点の世界のロボット開発は、今のところ機能を満たすものに大きく偏っている気がします。いちおう、アイボやLOVOT(GROOVE X社)なんかもありますが。。。もしかすると西洋のロボット開発者達は、この問題がはらむ危険性に気が付いていて、あえて、ロボットを「機能を満たすもの」と感じやすい外見に作っているのかも。
・ナミが言う「私は常に今の繰り返しです。将来は未来という言葉を聞くと戸惑ってしまいます」には考えさせられました。ありきたりな表現ですが、アンドロイドの心、というものが、うまく浮彫りで描かれた気がします。
・機械学習につき、「Aの入力に対して、人間が求めるBを超えた、Cを得たい」という潮流が変化し、「Aの入力に対してBが出力されるようになったら、何度Aを入力してもBが出力される」という自動機械の原点を、若い世代が求めはじめたという会話が興味深かったです。
僕は昨今の「Aの入力でCを得たい」(機械学習)の潮流は、長い目で人間文明を停滞させると思っています。理由は、このプロセスでは人間は因果関係の理解を得ることが出来ず、それなしには(広い意味での)科学が成立しないからです。もちろん、人間が理解できなくても機械はどんどん学習し、「Aの入力で、D、E、F、、、」と、より高次な解を提示していく観点もありますが、その場合、そのような解が適切なのか評価することができなくなっていくと思います。人間が持つ科学という力は、因果関係の共通理解と、それに基づく議論を原動力とすると思うのですが、AとBの二つのコンピューターが、それぞれ機械学習して高次な解を出したとして、それをAとBが議論することは恐らくできませんよね。そういう意味で、AIを補助的に使うという流れに戻るのは、人間の強みに立ち返った正常進化にようにも思えます。
・何だか、作品の感想というか、作品を読んで自分の頭の中に浮かんだことばかり書いてしまいましたが、それほどこの作品が、人の好奇心を刺激する、SFの王道として成功しているのだと思います。ありがとうございました。ていうか、彼女、アイギスですか?
★聴講生としての講座全体の感想
僕はたまに講義と懇親会に顔を出したりしていた程度ですが、皆様が、時間的制約から納得がついていないであろうにも関わらず、毎回の課題にしっかり作品を提出されていて、「これぐらいのプレッシャーを乗り越えていけないとプロになれないんだろうな!」と、見てるだけでも勇気をもらいました。みなさま、ガチ尊敬です。
全ての方の作品を読めた訳ではないのですが、自分に残った印象を徒然と。朱谷さんは独特の色があり、常に期待を裏切られずに読める安心感があるように感じました。みよしさんは、どこかでイーガンが好きとお聞きした気がするのですが、そっち系というか、SFの本質的なものを感じさせてくれる作品に感じました。天霧さんは、全てのスキルが万遍に高い気がして、また考察もするどく、根本的に頭が良い、何をやっても成功する人なんだろうなと感じました。岡田さんは、最初の一文で必ず笑わせてくれるというか、シュールさが面白かったです。瀬古さんは、文章のリズムが秀逸で、スラスラと読ませてくれる安心感がありました。やらずのさんは、ご自身の問題意識がはっきりされている印象で、それがたまたまこの講座の方向性と少し異なるだけで、遅かれ早かれ文壇に上がられるんだろうなと感じます。夢想さんは、ちょっと不思議な感じの作風で、不思議×怖いみたいな印象です。蚊口さんも、独特の世界観で、ユーモアのセンスだけでも読む価値があり楽しかったです。ゆきたにさんは、旦那デスノートの印象が強いのですが(笑)、自分が好きなのであろう景色や退廃感や何かぶっこわしたい!みたいなものが伝わってきました。渡邊さんは、古き良きSFという印象で、これがSFのワクワクだぜ!みたいなものを味わわせて頂いた気がします。矢島さんは、途中で体調を崩されてしまったのかな?わかりませんが、また独特の世界観があり、また、なんとなく「自分の目標を何が何でも達成してやる!」という真っすぐさが伝わってくる感があり、また恐らくそれを達成されていくのだと思います。れいかさんは、途中から別の公募などに集中されたのかな?わかりませんが、自分はSF講座に書かれてた作品もけっこう味があって好きでした。リクさんは、ひたすら真っすぐ目標に向かっている感じで、ただただ尊敬です。櫻井さんは、寓話的というか、超次元的な話で超次元的な感情を味わわせてもらえる方という印象です。三峰さんも、すごい全力で目標に動き続けている印象で尊敬です。宿禰さんは、僕は好きですよ、こういう、オールドスタイルな、老人系の哀愁があるSF。
僕も将来のどこかで、PCの前にスタンバって受講生として参加させてもらうかもしれません。その時にお会いしたらよろしくお願いします。
ていうか、聴講コース、続けたいからもうちょい安くしてほしい(笑)。
★(あえての)読者投票ならぬ勝敗予想
もし読者投票があり、20点を配分できるなら、僕はこう投票します。
「アンドロイドの居る少年時代」:8点
「聖武天皇素数秘史」:7点
「SOMEONE RUNS」:4点
「真夜中あわてたレモネード」:1点
SF新人賞として考えると、池田さんの作品は、まさしく今の世界のSFの潮流で、またそれに見合う完成度だと思います。
ただ藤琉さんの作品も、比類ないオリジナリティと創造力があり、完成度も高く、これを無視することは出来ないと思われます。ゲンロンが祟られてしまう。
そんな訳で、池田さんと藤琉さんのダブル受賞なんじゃないかと僕は感じます。
鹿苑さんの作品は、個人的にはツボのジャンルで、完成度も高いと思うのですが、物語が内包する世界の大きさとか、作品から得られた知見の深さとか、または文学としての新規性の観点で見ると、上の2作が一歩先を行ってるように見えました。
同じく木江さんの作品も、面白くて、オリジナリティがあり、一つのジャンルとして完成度も高いものの、SF新人賞と見た場合、読者がSFに求めるもの(何か深淵なものに触れて賢くなった気になりたい。バトルが見たい、等)とは、相性が悪いのかなと感じます。
大庭さんと中野さんの作品も、さすが最終選考というか、その人ならではの個性や世界観、問題意識、何か深淵なものに触れる感じが伝わってきます。ただ、作品の完成度という点で、他の方が先を行かれている印象です。
最後に、実は、池田さんと藤琉さんと鹿苑さんの、まさしくこのお三方は、僕は講座の序盤の段階では、「この人たち何を言いたいのか全然わからねー」という印象でした(すみません笑)。これは小説なのか?と思ったり、断片的なイメージは浮かぶものの何が進行してるのかわからなかったり、なんかストーリーが脈絡ないように見えたり。ただ、これもまた僕の勝手な解釈ですが、振り返ってみると、このお三方が、最初から自分の世界観/自分の問題意識、のようなものに一番集中されていたような印象です。目が自分に向いているというか。
恐らく、ストーリーや設定に矛盾がないとか、山場があり結末があるとか、ドラマ構成的な技術も大前提として重要なのでしょうが、最終選考作品ぐらいになってくると、それを超えた、「おおおお!なんだこれは!」ぐらいのインパクトがある何かが重要になってくるのでしょうか。そう考えると、これも使い古された言葉ですが、作家に一番重要なのは、やはり「個性」「世界観」「問題意識」、そしてそれに向き合い信じる勇気、などなのだろうと感じたりもしました。
勉強になりました!!!